支那事変(日中戦争)が始まる前年の1936年12月に中国において「西安事件」というものが起こります。
西尾幹二さんが編集した『自ら歴史を貶める日本人』にはこう書いてあります。
「掃共戦副司令に任命した張学良が、最後の毛沢東殲滅戦に出撃するふりをしながら出ていかなかった。業を煮やした蒋介石は、張学良を督戦するために西安に赴くわけです。ところが国共合作を盛んに懇願したが拒否され、戦闘開始を厳命された張学良は意を決して蒋介石を監禁し、中国共産党との内戦から坑日戦争に切り替えさせたわけです」
この事件が起こるまでは、蒋介石の優先順位は日本との戦いよりも共産党を潰すことの方が高かったのですが、この事件以後中国の国民党と共産党は「反日」で手を結ぶのです。中国共産党は生き残ることに成功します。
この事件が起こった後、盧溝橋や通州といったところで中国共産党が主導する日本への挑発が続きます。
そしていよいよ上海でも米・英の介入を期待した蒋介石が日本に対し挑発を開始したのです。
これらの中国の挑発に飛びついていったのが2・26事件でソビエトを仮想敵とする皇道派を失っていた我が大日本帝国陸軍でした。
西安事件を裏で操っていたいたのがソビエトのスターリンであったことを考えると2・26事件のアイロニーを感じざるをえません。
ということで、支那事変(日中戦争)を発生させ、拡大させたのは、中国における西安事件と日本における2・26事件という国内の重大事件のためであり、日本と中国の力のバランスが崩れたからではなかったのです。
続く
