板野潤治さんの『西郷隆盛と明治維新』を読んではっきりと認識できたことは、繰り返し書きますが、「安政の大獄」は「攘夷」か「開国」を巡る外交の問題ではなく、日本の進路を決める政治体制のあり方にありました。

井伊直弼は従来通りに、徳川家とゆかりのある譜代大名を中心とした体制を考えていたのに対し、薩摩藩主の島津斉彬などはオール・ジャパンの体制を考えていたのです。

「朝廷、幕府、親藩、譜代、外様大名の協力体制を作り上げるのに、薩摩藩主は最適の存在だったのである。」

そして、その薩摩藩主であった斉彬から絶大な信頼を受け、水戸、尾張、越前、肥後、長州などと協力していたのが西郷隆盛だったのです。

ところが、井伊直弼はオール・ジャパンの呼びかけに対して大弾圧で答えます。

その結果は、次の年表に明らかです。

安政の大獄 1858
下関戦争 1864
薩英戦争 1863

「安政の大獄」によって弾圧された側は、外国と戦争をするまでに「攘夷」思想を過激化させるのです。

もちろん彼らは西欧諸国に見事にやられますが、逆に西欧諸国からの優秀な武器を大量に仕入れることにつながり、それが最後には徳川幕府に向けられることになるのです。

これまで私は、明治維新が起こったのは黒船などの「外圧」のせいと考えてきましたが、板野さんの本を読んで「安政の大獄」という国内問題の方が遥かに明治維新に寄与していることが理解できました。