真珠湾攻撃の少し前にアメリカの駐日大使グルーは、近衛に次のような書簡を送ったそうです。

「私が彼の顕著なる奉仕を語った主な理由は、彼一人だけがエンジンを逆転させようと試み、生命を賭け、事実、紙一重のところまでいきながらも、一生懸命に勇敢にそれを行ったからである。」

このようにアメリカの大使から高く評価されていた近衛が戦後戦犯に指名されたり、亡くなった後もほとんど評価されることが無かった理由は何だったのでしょうか。

この問題を考える時、日米共に同じような力が働いていることに気づかされます。

近衛は他の日本人の誰よりも東條や木戸内大臣に対して中国からの撤兵を説きました。彼が戦犯に指名されても、自分のやってきたことを堂々と東京裁判において弁護することは可能だったのです。

しかし、それを行えば当然東條や木戸の立場は悪くなったでしょうが、木戸や東條を信頼していた昭和天皇の立場にも被害を及ぼしてしまうのです。

グルー大使が言うように、近衛一人だけが歴史の運命に逆らって、アメリカとの和平を求めたことが、逆に彼の仇となってしまったのです。

戦後の状況もあまり変わりはありませんでした。日本人の大半は昭和天皇の戦争責任の問題に敏感でしたから、近衛を再評価することができなかったのです。

アメリカ側にも似たような状況がありました。

近衛のアメリカに対する和平交渉を評価しようとすれば、それを無視したルーズベルト大統領の責任が問われなければなりません。

ところが、アメリカでもルーズベルトの無謬性神話が発達していたためにそのようなことは不可能でした。キッシンジャーの『外交』という本の中でも、ルーズベルトの性格が悪かったことは書かれていますが、その悪い性格ゆえに良い政策が生まれたみたいなことばかり書かれているのです。

ところが、日本でもようやく近衛文麿を再評価する鳥居民さんや工藤美代子さんのような人が登場してきました。工藤美代子さんは『われ巣鴨に出頭せず』を書くにあたってロンドンのナショナル・アーカイブで米戦略爆撃弾の近衛に対する尋問書を発掘され、それを読んで次のように書いておられます。

「近衛は東條や木戸に対し、ひと言たりとも彼らに不利な発言はしなかったこともわかった。男らしく、貴族の生まれらしく、誇りを捨てずに潔く全責任だけを負って、それが運命であるかのように天皇の御楯として命を絶った。近衛文麿という日本人がいたことを私は誇りに思う。」

アメリカにおいても、時代が変わってきました。それを示すのが、ハーバート・フーバー元大統領が戦時中に書いていた回顧録がようやく今になって発売されたのです。

フーバー元大統領は、近衛の和平努力を非常に評価しているようで、日本に関する部分では、グルー大使からの電報を中心に元エンジニアらしくシステマティックに分析されています。

そして、この部分を読んだ保守系の評論家、パトリック・ブキャナンは、書評で「近衛公と会談を行わなかったことで、何万人ものアメリカ人の死、広島、長崎、毛沢東の中国支配、朝鮮戦争、ベトナム戦争、アメリカを尊敬することの無い傲慢な中国などを招いてしまったのである。」と書いています。

さすがに、現在の傲慢な中国が近衛ールーズベルト会談が行なわれなかったことからくるものとは書きすぎだと思いますが、中国の赤化、大躍進や文化大革命、朝鮮戦争、ベトナム戦争などの運命を変えた可能性は、私にもあったと思われます。

近衛が失敗したことで、当時の日本人も災難を被りましたが、東アジア全体でもたくさんの不必要な生命が犠牲になったのです。