歴史家の鳥居民さんが亡くなったそうです。
84才だったそうですが、最後までその頭脳は輝き続けました。
私が、鳥居さんの本に出会ったのは評論家の故谷沢永一さんが書評で『日米開戦の謎』を賞賛されているのを読んだからです。
ドイツとソ連が戦争を始めた時に、日本は海軍が主導する形で南部仏印に進駐しました。
なぜ海軍がこのようなことをしたかと言えば、陸軍にソビエトを攻撃させないためだというのです。
陸軍は陸軍で、以前からソビエトを仮想敵にしていたのですが、ノモンハンで痛い目にあっていたためなかなか積極的になれず、海軍の提案に飛びついたのが真相だったようです。
ところが、南部仏印進駐の後でアメリカから石油を禁輸され、海軍はやりたくもない対米戦を考えざるをえなくなってきます。
私は、この鳥居さんの解釈に感銘を受け、彼が書いた物を全て読もうと決意しました。
そこで知ったのが、鳥居さんのデビュー作が日本の近代史ではなく中国のそれだったのです。
『毛沢東5つの戦争』で鳥居さんが主張したのは、中国の戦争は必ず国内の政治と結びついているということでした。
毛沢東が人民公社を作ろうとし大衆動員をはかりますが、そのために金門・馬祖を砲撃したのが、その一例です。
私が以前に読んだ台湾独立運動家の黄昭堂さんと金美齢さんの対談本でも、この鳥居さんの解釈を高く評価されていました。
鳥居さんのここ二十数年は、『昭和20年』という大作を物にされてきました。この本の中で鳥居さんは数々の昭和史の謎を解明しましたが、私が一番重大だと考えているのは内大臣木戸幸一と近衛文麿との対立です。
これまでは、木戸の方が和平を求めていたのが近衛の優柔不断が日米戦争につながったと考えられてきましたが、鳥居さんはこの論に反対でした。
戦前アメリカと日本がもめていた中心は、日本軍の中国からの撤兵問題でした。
このことについて天皇の側近である木戸幸一は口には出しませんでしたが、終始反対していました。
鳥居さんは木戸の反対は、2・26事件に関係していると喝破しました。
木戸幸一は2・26事件で即座に反乱軍を鎮圧する側に立ちましたが、後に出世を果たす東条英機や梅津美治郎などの幹部なども皆鎮圧側にたった人達でした。
ところが後に日中戦争が起きて、収拾がつけられなくなって分かったことは、日中戦争の拡大に責任がある人達は全て2.26事件で鎮圧側に立つ人達であったのです。
そこで鳥居さんは、日中戦争の責任者を処罰したら、必ずそれは2.26の評価に結びつくから、木戸幸一が中国からの撤兵に反対だと考えたのです。
木戸を頼ることが出来ないとわかった近衛はアメリカの駐日大使ジョセフ・グルーと組んで、ルーズベルト大統領と頂上会談を行って、中国からの撤兵を約束し、それを直接天皇にぶつけてみることを考えたのです。
ただ、近衛にとって悲劇だったのは、相手側のルーズベルトが首脳会談になんの興味も示さなかったことです。
ルーズベルトは、日本が経済制裁で屈服すれば良いし、戦争でも構わないと考えていたのです。
つい最近ルーズベルトの前の大統領であるハーバート・フーバーの回顧録『裏切られた自由』が出版されました。
私は、この本の日本に関する部分を読んでみましたが、フーバー元大統領は近衛がグルーと一緒になって頂上会談を求めてる様子をグルーの電報を中心に詳しく書いています。
フーバー元大統領も、頂上会談を行っていれば日米戦争は避けられたと思っていたようです。そこで後にルーズベルト大統領を「狂気の男」とよんだのでした。
もう一点、鳥居さんの解釈とフーバー元大統領の回顧録について書いておきます。
駐日大使だったグルーは、戦争の最後の方になって国務次官として復帰します。
彼は、日本の早期降伏を誘発するために、天皇に関する条項をポツダム宣言にいれることを主張しました。
ところがトルーマン大統領は、グルーの進言を握り潰します。
なぜトルーマンはそんなことをしたのでしょうか。
実は、これには原爆が関わっています。
トルーマンにとって、ポツダム宣言に天皇条項を入れて、日本が早期降伏すれば原爆を使えなくなってしまいます。
そこでトルーマンはポツダム宣言に天皇条項を入れなかったのだと、鳥居さんは『原爆を投下させるまで日本を降伏させるな』という本に書いています。
実は、これと全く同じことをはっきりとではないですが、フーバー大統領も指摘しているのです。
フーバー大統領の回顧録を読んで鳥居民さんとほとんど問題意識が同じで私はびっくりしました。
ただ残念なのは、鳥居さんがフーバー大統領の回顧録を読まれたかどうかがわからないことです。
これからも日米関係で歴史認識が問題になってくるかもしれません。アメリカは、ルーズベルト史観で押してくるでしょう。その時に武器になるのが私にとって鳥居民=ハーバート・フーバー史観だと確信しています。
鳥居民さん、お疲れ様でした。
84才だったそうですが、最後までその頭脳は輝き続けました。
私が、鳥居さんの本に出会ったのは評論家の故谷沢永一さんが書評で『日米開戦の謎』を賞賛されているのを読んだからです。
ドイツとソ連が戦争を始めた時に、日本は海軍が主導する形で南部仏印に進駐しました。
なぜ海軍がこのようなことをしたかと言えば、陸軍にソビエトを攻撃させないためだというのです。
陸軍は陸軍で、以前からソビエトを仮想敵にしていたのですが、ノモンハンで痛い目にあっていたためなかなか積極的になれず、海軍の提案に飛びついたのが真相だったようです。
ところが、南部仏印進駐の後でアメリカから石油を禁輸され、海軍はやりたくもない対米戦を考えざるをえなくなってきます。
私は、この鳥居さんの解釈に感銘を受け、彼が書いた物を全て読もうと決意しました。
そこで知ったのが、鳥居さんのデビュー作が日本の近代史ではなく中国のそれだったのです。
『毛沢東5つの戦争』で鳥居さんが主張したのは、中国の戦争は必ず国内の政治と結びついているということでした。
毛沢東が人民公社を作ろうとし大衆動員をはかりますが、そのために金門・馬祖を砲撃したのが、その一例です。
私が以前に読んだ台湾独立運動家の黄昭堂さんと金美齢さんの対談本でも、この鳥居さんの解釈を高く評価されていました。
鳥居さんのここ二十数年は、『昭和20年』という大作を物にされてきました。この本の中で鳥居さんは数々の昭和史の謎を解明しましたが、私が一番重大だと考えているのは内大臣木戸幸一と近衛文麿との対立です。
これまでは、木戸の方が和平を求めていたのが近衛の優柔不断が日米戦争につながったと考えられてきましたが、鳥居さんはこの論に反対でした。
戦前アメリカと日本がもめていた中心は、日本軍の中国からの撤兵問題でした。
このことについて天皇の側近である木戸幸一は口には出しませんでしたが、終始反対していました。
鳥居さんは木戸の反対は、2・26事件に関係していると喝破しました。
木戸幸一は2・26事件で即座に反乱軍を鎮圧する側に立ちましたが、後に出世を果たす東条英機や梅津美治郎などの幹部なども皆鎮圧側にたった人達でした。
ところが後に日中戦争が起きて、収拾がつけられなくなって分かったことは、日中戦争の拡大に責任がある人達は全て2.26事件で鎮圧側に立つ人達であったのです。
そこで鳥居さんは、日中戦争の責任者を処罰したら、必ずそれは2.26の評価に結びつくから、木戸幸一が中国からの撤兵に反対だと考えたのです。
木戸を頼ることが出来ないとわかった近衛はアメリカの駐日大使ジョセフ・グルーと組んで、ルーズベルト大統領と頂上会談を行って、中国からの撤兵を約束し、それを直接天皇にぶつけてみることを考えたのです。
ただ、近衛にとって悲劇だったのは、相手側のルーズベルトが首脳会談になんの興味も示さなかったことです。
ルーズベルトは、日本が経済制裁で屈服すれば良いし、戦争でも構わないと考えていたのです。
つい最近ルーズベルトの前の大統領であるハーバート・フーバーの回顧録『裏切られた自由』が出版されました。
私は、この本の日本に関する部分を読んでみましたが、フーバー元大統領は近衛がグルーと一緒になって頂上会談を求めてる様子をグルーの電報を中心に詳しく書いています。
フーバー元大統領も、頂上会談を行っていれば日米戦争は避けられたと思っていたようです。そこで後にルーズベルト大統領を「狂気の男」とよんだのでした。
もう一点、鳥居さんの解釈とフーバー元大統領の回顧録について書いておきます。
駐日大使だったグルーは、戦争の最後の方になって国務次官として復帰します。
彼は、日本の早期降伏を誘発するために、天皇に関する条項をポツダム宣言にいれることを主張しました。
ところがトルーマン大統領は、グルーの進言を握り潰します。
なぜトルーマンはそんなことをしたのでしょうか。
実は、これには原爆が関わっています。
トルーマンにとって、ポツダム宣言に天皇条項を入れて、日本が早期降伏すれば原爆を使えなくなってしまいます。
そこでトルーマンはポツダム宣言に天皇条項を入れなかったのだと、鳥居さんは『原爆を投下させるまで日本を降伏させるな』という本に書いています。
実は、これと全く同じことをはっきりとではないですが、フーバー大統領も指摘しているのです。
フーバー大統領の回顧録を読んで鳥居民さんとほとんど問題意識が同じで私はびっくりしました。
ただ残念なのは、鳥居さんがフーバー大統領の回顧録を読まれたかどうかがわからないことです。
これからも日米関係で歴史認識が問題になってくるかもしれません。アメリカは、ルーズベルト史観で押してくるでしょう。その時に武器になるのが私にとって鳥居民=ハーバート・フーバー史観だと確信しています。
鳥居民さん、お疲れ様でした。