現在、中国共産党政府は、次期中国大使に内定している木寺大使に対してアグレマン(合意)を出していません。

実は中国政府が日本の大使にアグレマンを出さなかった事件は戦前にあったことを思い出して調べ直してみました。

昭和4年に今は懐かしい幣原喜十郎が外相の時代に国民党の中国との間で起こっています。

そもそも、こちらから送り込む大使について相手国の合意を受けるという行為は、欧米先進国にしか当時の日本は認めていませんでした。

ところが、幣原は中国に対する融和外交の一環で適用できるようにしてあげたわけですが、蒋介石はそれをいきなり発動してしまったのです。

その時にアグレマンを拒否されたのはトルコ大使を勤めていた小幡酉吉という人物で、この人が「対21カ条要求の際テーブルを叩いて脅かした」ことにあったようです。

この事件で日本の世論は沸騰し、幣原外交が否定される一因になったのでした。

それから2年もしないうちに、昨日書いた満州事変が勃発するのです。

国民党の中国も、共産党の中国もやることは同じみたいです。