桂太郎と言えば日露戦争時に総理の座にあり、また8年もの長期間に渡って(連続ではありませんが)その職を務めました。

今回、千葉功著『桂太郎』という本を読んで、彼の外交観が現代に通じるものがあると感じられたのでそのことについて少し書いて見たいと思います。

桂太郎は日清戦争に従軍しますが、清国の軍について千葉さんの本では次のように書いてあります。

「桂が分析するに清軍敗走の理由は、兵卒個人にあるよりは中国軍が『アドミニストラーション』、すなわち軍政を知らないことにあり、兵器だけはヨーロッパの最新兵器を集めながら、兵員は『日雇の百姓』で、それを老衰の将軍が孫子の兵法で動かしている。」

この桂の分析などは、現代の中国を考えるのに参考になります。現在の中国も日本がしたことのない有人宇宙飛行などを成し遂げ、インターネットなどもそれなりに発展していますが、いかんせんそれを支える(administrate)政治が共産党の一党独裁というわけです。

桂も最初は政党嫌いの山縣有朋の派閥で出世していきますが、総理になれば政党の存在を無視することができず、最後には自分で政党を作るところまでいくのです。この柔軟性が8年もの長期に渡って総理でいられた秘訣でした。

さて清朝についてですが、桂が3度目の総理になる一年前の1911年に辛亥革命が勃発しています。これについて桂はこれほど早く勃発するとは全く予想しておらず、後藤新平に対して「隣家の火事、少々早きに失し申し候」と述べています。

桂ほどの優秀な人物でも清朝が滅ぶことを予想できず、実際それが起きて見たら案外早かったというのですから、何だか示唆的に感じるこの頃です。

私が最も現代に参考になると思っているのが、桂の日英同盟に対する評価です。

日英同盟ができたのは桂が総理の時で、彼は「日英同盟締約当時の主人」という思い入れを持っていました。

日英同盟は、ロシアを共通の敵としていたわけですが、日露戦争で日本が勝利したお陰で存立そのものに疑問符がついてきたのです。このことについて彼はロイター通信に次のように答えています。

「今日ほど該同盟の存立を必要せる時期はなし、いかんとなれば支那における現下の事態に鑑み、該同盟は凡ての極東問題の基礎である」

いつの間にか日英同盟は中国向けのものに変わってしまったのです。

この議論どこかで聞いたことありませんか。

桂がこのインタビューを受けたのが1911年のことでしたが、それから10年後のワシントン会議で日英同盟はなくなってしまうのです。(桂は1913年67才でなくなっています)