作家の橘玲さんがブログで『レイプ・オブ・ナンキン』を書いて、後に自殺したアイリス・チャンについて書いています。

その中で、アメリカで南京大虐殺が定着した理由を次のように指摘しています。

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日本では南京大虐殺について詳細な検証が行なわれており、旧日本軍による蛮行を認める戦史研究家でも、陥落時の南京城内の人口が20万人程度だったことなどから、死者30万人の“大虐殺”を史実とはみなしません。しかしそうした研究はほとんど英語に訳されることはなく、一部の現代史の専門家を除けば欧米ではまったく知られていないのです。

南京大虐殺を歴史の捏造と主張するひとたちは、『ザ・レイプ・オブ・南京』の翻訳出版を阻止し、「死者数万人」とする国内の“見直し派”とはげしく論争してきました。彼らの目的は、目の前にいる日本人の論敵を打ち負かし、歴史教科書など南京大虐殺を認める日本語の文書をこの国から放逐することでした。

しかし彼らが、日本国内の日本語によるガラパゴス化した論争に夢中になっているあいだに、英語圏において南京大虐殺は“史実”となっていたのです。
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日本国内のガラパゴス論争のせいだとおっしゃりたいみたいですが、本当にそれだけでしょうか。

私は、こういう問題で欧米人、特にアングロ・サクソンに日本の言い分を聞く気が全くないように思っています。

よく似た構造をしているのが「捕鯨問題」です。

日本の水産庁の役人がいくら必死になって科学的に鯨は絶滅していないことを証明してもアングロ・サクソンは聞く耳を持ってくれません。なぜなら「鯨はかしこい」などの強烈な思い込みが彼らにはあるからです。

南京大虐殺の問題でもちゃんとした論理が通用しないのは、彼らの中に「日本人は残虐だ」という強固な前提条件があるからだと私は思っています。「日本人は残虐だ」と思い込んでいる人にとって、それを肯定する事実はスラスラ頭に入ってきますが、それを否定する材料はことごとく無視されるのです。
(英語の本で日本の戦争行為や植民地行為で良く使われる単語にbrutal(残忍な)という単語があります。最初の方はこの単語にいちいち憤慨していたのですが、近頃感覚が麻痺してきて、この単語が無い文章に違和感を感じるようになってきました。)

アングロ・サクソンの世界では、鯨の立場(intelligent)は日本人の立場(brutal)よりも遥かに羨むべき位置に存在するのです。鯨を食べる日本人は彼らにとって「最悪」なわけです。

日本人は中国人や韓国人に比べて欧米人の方が理性的(rational)だろうと思っていますが、ある分野に限っては全くそうではありません。

だから現在の私は福沢諭吉の「脱亜入欧」にも懐疑的です。