元財務官僚で在任中はミスター円と呼ばれていた榊原英資さんは、かなりの読書家のようで坂本龍馬に関する『龍馬伝説の虚実』という本を書かれています。

この本の中で榊原さんは龍馬を暗殺したのは西郷隆盛ではなかったかと大胆な推理をしておられます。

なぜ西郷が龍馬を暗殺しなければならなかったかといえば、両者には明確な政治路線の違いがあったからです。

「しかし、西郷は過激な倒幕派、龍馬は勝海舟の弟子であり、公武合体論であり融和派です。」

西郷にとって龍馬は非常に邪魔な存在でした。そこで「政治的」な西郷がテロリズムで龍馬を葬ってしまったというわけです。

もし龍馬の公武合体論がとられていれば、明治政権はもっと穏やかなものとなり、廃仏毀釈などの過激な政策をとることもなく、日清戦争から始まる4度の大戦もなかったのではないかと想像されています。

私は榊原さんの西郷犯人説は納得しますが、彼の歴史解釈は甘すぎると思います。

近代統一国家を作るのがいかに難しいかは、明治維新と同時代に起きたアメリカとドイツの例をみればわかります。

アメリカでは、奴隷制度や経済政策の違いから北部と南部が激しい戦争を行い北部の勝利によって、どうにか分裂を避けたのです。

ドイツでも最も力の強いプロイセンがオーストリアとフランスを戦争で負かしたことでプロイセンが中心となる統一を達成したのです。

毛沢東は「権力は銃口から生まれる」と語りましたが、これは一面の真実をついています。

もし薩長の軍事政権ではなく公武合体が政権についていたら、武士階級を廃止するという「廃藩置県」など実効可能だったのでしょうか。私は薩長の圧倒的な軍事力があったから、そのような政策がとれたと思っています。

この点から見ても、西郷隆盛の方が坂本龍馬よりもはるかに権力(パワー)に対してリアリストだったのです。

ところで、西郷隆盛は征韓論を巡る対立で負けて下野しました。中国出身の評論家である石平さんが、この問題で西郷と毛沢東を比較した素晴しい評論を書いていらっしゃいます。

それによれば、大躍進政策で数千万の人を餓死させた毛沢東は失脚しますが、その権力を取り戻すために今度は文化大革命を始めました。その結果、せっかく統一を果たした中国は無茶苦茶になってしまいました。

一方、カリスマと能力で毛沢東に負けない西郷隆盛が「私的」な理由で権力を奪還しようと思えばできたはずなのに、彼はそのようなことは決してしませんでした。西南戦争もあくまで受け身で行ったに過ぎないのです。

確かに、西郷隆盛が毛沢東みたいな権力亡者であれば、明治の日本は一体どうなったでしょうか。

だから榊原さんのいうように西郷が龍馬を暗殺したことが事実だったとしても、西郷どんは偉かったのです。