- Freedom Betrayed: Herbert Hoover’s Secret Histo.../George H. Nash
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まずは、この本を取り上げた産經新聞の記事からです。
【ワシントン=佐々木類】ハーバート・フーバー第31代米大統領(1874~1964年)が、日本軍が1941年12月8日、米ハワイの真珠湾を攻撃した際の大統領だったフランクリン・ルーズベルト(第32代、1882~1945年)について、「対ドイツ参戦の口実として、日本を対米戦争に追い込む陰謀を図った『狂気の男』」と批判していたことが分かった。
米歴史家のジョージ・ナッシュ氏が、これまで非公開だったフーバーのメモなどを基に著した「FREEDOM BETRAYED(裏切られた自由)」で明らかにした。
真珠湾攻撃に関しては、ルーズベルトが対独戦に参戦する口実を作るため、攻撃を事前に察知しながら放置。ドイツと同盟国だった日本を対米戦に引きずり込もうとした-などとする“陰謀説”が日米の研究者の間で浮かんでは消えてきたが、米大統領経験者が“陰謀説”に言及していたことが判明したのは初めて。
ナッシュ氏の著書によると、フーバーは第33代大統領のトルーマンの指示で戦後の日本などを視察。46年に訪日し、東京で連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー元帥と会談した。
その際、フーバーはマッカーサーに対し、日本との戦争は「対独戦に参戦する口実を欲しがっていた『狂気の男』の願望だった」と指摘。在米日本資産の凍結など41年7月の経済制裁は「対独戦に参戦するため、日本を破滅的な戦争に引きずり込もうとしたものだ」と語ったという。
マッカーサーも、「ルーズベルトは41年夏に日本側が模索した近衛文麿首相との日米首脳会談を行い、戦争回避の努力をすべきだった」と批判していた。
著書ではフーバーが「米国から日本への食糧供給がなければ、ナチスの強制収容所並みかそれ以下になるだろう」とマッカーサーに食糧支援の必要性を説いていたことも詳細につづられており、フーバーの対日関与の功績に光を当てるものにもなっている。
ナッシュ氏は「この著書が、今でも米国の英雄とされているルーズベルト大統領への歴史評価を見直すきっかけになってほしい」と話している。
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管理人はこの記事に興味を覚え、この本を読んでみたいと思ったのですけれど、なにせハードカバーで1000頁もあるのでなかなか買う気になれませんでした。
ところが、つい最近アメリカの評論家パット・ブッキャナン氏の書評をみつけました。そこには真珠湾攻撃に至る日本の外交がこの本から引用されています。重要な部分を訳してみました。
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1941年夏の日本の状態を考えてみよ。勝つことも終わらせることもできない中国との泥沼の戦争に4年間もはまりこみ、フランス領インドシナに侵攻したものの日本は万策がつきてきた。
日本政府の内部では近衛文麿首相を筆頭とするグループはアメリカとの戦争を全然望んでいなかった。
親アングローサクソングループには第一次大戦を共に戦った海軍が含まれていた。一方好戦派には東条英機と外相の松岡洋介がいた。
1941年7月18日、近衛首相は松岡洋右外相を辞任させ、海軍の親アングロサクソンの豊田を後任に就けた。
アメリカの答え:7月25日アメリカ政府は米国内の日本資産を全て凍結した。アメリカへの輸出も輸入もできなくなり、石油も禁輸された。
びっくりした近衛首相は、極秘裏にルーズベルトと直接談判することの賛意を海軍と陸軍からとりつけた。
駐日アメリカ大使のジョセフ・グルーは、近衛首相のオファー(近衛はグルーにインドシナと中国の南部と中部から撤退すると約束していた。中国の北部に関しては毛沢東とスターリンに対するバッファーが必要と考えていた)を無視するべきではないと米国政府に訴えていた。
8月28日、日本の野村駐米大使は、ルーズベルト大統領に会談してくれと頼む近衛首相の個人的な親書を提出した。
東京は、日本の首相がアメリカの大統領に太平洋を越えて会いにいくことを秘密にしておいてもらいたかった。なぜならそれがばれたら、大変なことになるからである。
9月3日、近衛首相の手紙がヘラルド・トリビューン誌にリークされた。
9月6日、近衛はグルー大使と3時間会談し、日本はアメリカが主張している4つの原則を守ると約束した。しかし、アメリカからは何の応答もなかった。
9月29日、グルー大使は、このチャンスをのがすべきではないという、フーバー大統領が「祈祷文」と例えている、電信を送った。
9月30日。グルー大使はワシントンに、「近衛首相をのせた軍艦はホノルルでもアラスカでも大統領が望むどのような場所へも行く準備ができている」という電信を再度送った。
ルーズベルトからの返事は全くなく。10月16日近衛内閣は瓦解した。
11月に入って、アメリカは2つの提案を日本から受けた。プランAは中国との戦争を終わらせ、インドシナから撤退する。プランBは、これから先どちらも何の行動を起こさないという暫定協定だった。この計画がアメリカにもたされてもアメリカはあっさりと拒絶する。
11月25日のルーズベルト戦時内閣の会議でのヘンリー・スティムソン長官のノートが、当時のコンセンサスを物語っていた。「問題はいかにアメリカ自身を深く傷つけることなく、第一撃を日本から撃たせることにある。」
ノックス海軍長官は3ヶ月で日本を地図から消してみせると書いた。
グルー大使は、日本は辱めを受けるよりは切腹を望むだろうと予測していた。その予測通りの展開となった。
近衛首相と会談しなかったおかげで、アメリカは何千人ものアメリカ市民を失い、広島長崎をもたらし、毛沢東に中国を受け渡し、朝鮮とベトナムで戦い、そしてアメリカになんら敬意をはらわない傲慢な超大国中国を生んでしまったのである。
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フーバー大統領が、ルーズベルト大統領を「狂気の男」と呼んでいたのは正しかったと私も思います。
