スティーブン・キンザーの『オーバースロー』から気になったことをもう一つ書いてみます。

中南米で19世紀の終わりに広範な改革運動がおこりました。ニカラグアでもヨーロッパに留学し、近代の思想を身につけたゼラヤという人が大統領の職につきます。

しかし、このような近代国家を作ろうとする運動にありがちなことですが、以前からニカラグアに進出していたアメリカの商人達との衝突を繰り返します。

当時のアメリカの大統領はセオドア・ルーズベルト大統領の後をついだタフト大統領で彼はアメリカの企業を代弁していたとキンザーは書いています。

ゼラヤを嫌ったアメリカの商人や一部の陰謀家達はゼラヤを大統領の職から追放しようと画策します。彼らはアメリカに都合のよい地方の有力者をそそのかしてゲリラをしかけます。

当然、ゼラヤ大統領は反政府ゲリラを鎮圧しますが、その過程でゲリラに協力していた2りのアメリカ人を処刑してしまったのです。

これに激昂したアメリカの国務長官であったノックスはノックス・ノートというものをニカラグア政府に提出しました。

それには「アメリカ政府はゼラヤ大統領が率いる現政府よりも反政府ゲリラのほうが民意を反映しているのだ」と書き、「このような状態ではアメリカはニカラグアと通常の外交関係を続けていくことができない」と書いてあったそうです。

これを見たニカラグアのある長官は「心から衝撃を受け、全身が麻痺した」と告白したそうです。

このエピソードを始めて読んで、私は日本がアメリカのハル国務長官から突然受けとったハル・ノートを思い出してしまいました。

ハル・ノートをみた日本の東郷外相は「自分は目もくらむばかりの失望に打たれた」と書いていますが、ニカラグアの長官とそっくりの反応をしています。

ニカラグアには残念ながら真珠湾攻撃をする力はありませんでした。ノックス・ノートを突きつけられたゼラヤ大統領は大統領の職を辞し、亡命せざるを得ませんでした。

ゼラヤの辞任を受けて、アメリカは満足して反政府ゲリラの応援を停止したのでしょうか。

ゼラヤ大統領の後を受けた同じ改革派のマドリツ司法長官は反政府ゲリラの鎮圧を開始しますが、逆にここからアメリカの介入が激しくなってくるのです。アメリカは海兵隊までも派遣します。

その結果、マドリツ氏までも亡命せざるをえなくなり、最後には反政府ゲリラが政権をのっとてしまったのです。ニカラグアの「明治維新」ははかなく消えてしまいました。

日本がハル・ノートを受け入れていれば安泰だったという意見がありますが、ニカラグアの経験からはそう単純なものではなかった事がわかります