私はイランの核問題が平和的に解決できることに悲観的ですが、どこかではイランに対して「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び」核の放棄を決断して欲しいとも思っています。そうじゃないと全く不毛な中東大戦争を避けることができないからです。

 しかし一方で、一体アメリカやイスラエルがたくさんの核兵器を保有しながら、イランに対して核を作ったら軍事的に攻撃すると脅かすことが本当に「公正」なことなのだろうかとも考えてしまうのです。

 じつはこの問題は戦前の日米関係にも関わってきます。

 日本が満州事変を起こした後、日本は国際連盟からの脱退を余儀なくされます。そのときに国際連盟事務次長をつとめたこともある杉村陽太郎が次のように語っています。

 「米国が不戦条約にモンロー主義を留保し、英国もまたその重大権益の保護のため殆ど無制限の範囲にまで拡大しうる留保を附したのに対し、各国が別段意義を唱えぬのは、過去における英米の優越的地位に顧み、実際上はやむをえぬところと認め敢えて之を争わぬのであるけれども、日本が三国干渉の当時より21ヶ条時代を経て、今回満州に対する独占的地位を世界に向かって宣言したのはその変化が如何にも急激であると、日本の国際的地位が未だ英米のそれに匹敵せざるため各国としては直ちにこれに同感を表し得ぬところがあるのである。」

 アメリカが戦略的に重要なパナマ運河を保有したり、イギリスがインドなどの多数の植民地を抱えることが「合法」で、なぜ日本の満州領有だけが「侵略」と断罪されればならないのでしょうか。

 言い換えれば、英米は自分の「既得権」は守ったままで、日本を非難していたのですが、日本人はこの論理に全く納得していなかったのです。

 イランもアメリカやイスラエルが核兵器という「既得権」を抱えたまま、自分たちだけが拒否されるのは納得できないでしょう。

 このような時にイランが核開発の中止を約束することは、昭和天皇が述べたような「堪えがたきを堪え、忍びがたきを忍び」の心意気が必要です。

 しかし、まだ戦争に負けていないイランに対してそのようなことを期待するのは無理だと私は思います。