日本がアメリカと安全保障条約を結んだことで国内に「素朴なナショナリズム」と「狡猾なナショナリズム」という分裂を生んでしまいました。

 片岡鉄哉先生も同じようなことを『さらば吉田茂』のなかで指摘しています。

 「米国政府が日本に対して両天秤政策をやるのは、日本の世論が護憲と改憲とに割れており、アメリカの意向に従って日本側が連動することに一半の理由がある。アメリカが改憲指向になると日本の改憲派(鳩山)が親米になり護憲派の足を引っ張る。逆に、アメリカが護憲指向になると日本の護憲派(吉田)が親米になり改憲派の足を引っ張る。これがアメリカによる日本操縦を可能にしている。」

 つい最近もこのメカニズムを利用してオバマ政権は鳩山内閣を潰してしまったのです。

 では、日本の国論を統一する方法はないのでしょうか。

 一番簡単なのは「日米安保」を破棄することです。そうすれば日本国内で護憲派と改憲派が戦うという不毛なことは無くなるでしょう。日米安保が無くなれば必然的に「改憲」に国内世論が収斂されていくようになるからです。

 ところがそのためには日本国内で「日米安保破棄」という強力な国内コンセンサスが形成されなくてはなりませんが、国内で分裂している状態ではそのようなコンセンサスは決して生まれないのです。

 つまり日本からアメリカに対して日米安保の放棄を通告することは事実上不可能なのです。

 これはどういうことを意味するかというと、戦後の日本で分裂の無い「真の独立」を追求すれば、それは必ず「絶望」に終わってしまうということです。

 それに最初に気づいたのが三島由紀夫でした。彼は早くも昭和45年に次のように書いています。

 「…私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。

このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。

日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。
 
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」

 若泉敬は生涯にわたって日本に「独立」した外交をもたらすために努力したのですが、戦後の国内の分裂に最後まで悩まされ続けるのです。若泉の思いをこの本の著者の森田氏は次のように描きました。

 「若泉は、沖縄を取り戻したというのに、アメリカへの依存はなぜ終わらないのか、日本人はなぜ『愚者の楽園』でのうのうと暮らしているのか、こんなはずではなかったのではないかと、自問自答し続けたのに違いない。」

 では、これからもずっと日本に「本当の独立」を求める戦いは「絶望」に終わるのでしょうか。私はそう考えてはいません。確かに日本側でコンセンサスを獲得することは不可能ですが、アメリカからそれがやってくる可能性があります。

 アメリカ帝国の崩壊からの日本独立という構図です。

 次に続く。
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