前回の続きです。ジョセフ・ナイは日本の経済について次のように書いています。
Japan’s economy has suffered two decades of slow growth because of the poor policy decisions that followed the collapse of the country’s massive asset-price bubble in the early 1990’s.
(日本経済は1990年代初頭のバブル崩壊後の惨めな経済政策のために20年もの低成長を余儀なくされた)
アメリカの知識人はバブル崩壊後の日本の経済政策にとても否定的な評価しかあたえません。しかしリチャード・クーさんが書いているように、日本のバブル崩壊の富の損失はアメリカで起きた1929年の大恐慌に匹敵するものでした。このときアメリカではバブル崩壊後の処理を誤り、GDPは半分になり、失業率も20%を超えていたのでした。これに比べたら日本の方がましなように感じるのは私だけなのでしょうか。
さらに今回のアメリカにおける不況もクルーグマン教授のブログを読んでいると、しきりにニッポニゼーション(日本化)を危惧しておられます。そこでアメリカの低成長が長引けばどのようなことが起きるか考えてみましょう。
日本では1998年でデフレが始まってから自殺者が3万人を超えました。アメリカではこのようなことがおこるとは思いませんが、「怒れる大衆」のポピュリズムがじわじわと広がっていっています。そして私はこのアメリカのポピュリズムがこれからの日本に多大な影響を及ぼすと考えています。ナイ教授は戦後の日本経済について次のように書いています。
On the eve of World War II, Japan accounted for 5% of the world’s industrial production. Devastated by the war, it did not regain that level until 1964. From 1950 to 1974, Japan averaged a remarkable 10% annual growth rate, and by the 1980’s was the world’s second largest national economy, accounting for 15% of global output.
(第2次世界大戦以前、日本の工業生産は世界の5%を占めていた。戦争によって破壊されたため戦前に戻ったのは1964年のことだった。1950年から1974年まで日本経済は毎年約10%の成長をとげ、1980年までに世界で第2番目の経済大国になり世界の富の15%を占めるに至ったのである。)
このような経済成長が達せられたのは日本人の努力の賜物ですが、戦後のアメリカの日本に対する政策の変更も無視できません。戦前のアメリカでは一般大衆の間でも広範な中国びいきの感情が存在しました。ところが、中国は戦後に共産主義の国になり、朝鮮戦争ではアメリカと戦うことにまでなってしまったのです。
片岡鉄哉先生は「あれだけ日本との抗戦を応援してやったのに、その恩をあだで返すのか。これは裏切りだ。一体『クリスチャン・アンド・デモクラティック・チャイナ』なんていうとんでもない夢を売りつけたのは誰だ。国務省に赤の手先がいるのだろう。そいつらを吊るし上げよう」と書かれています。
これがあの有名な「赤狩り」の契機になったのでした。このアメリカの政策転換が日本に有利に働いたのでした。
では、「明治維新」は一体どうだったのでしょうか。ナイはこの論文で日本の明治維新についても書いています。
This was not the first time that Japan had impressively reinvented itself. A century and a half ago, Japan became the first non-Western country to adapt successfully to modern globalization. After centuries of isolation, Japan’s Meiji restoration chose selectively from the rest of the world, and within 50 years the country had become strong enough to defeat a European great power, in the Russo-Japanese War.
(日本が自己を再発見したのはこれが初めてではない。いまから1世紀半前、日本は最初の非西洋諸国で近代国家に生まれ変わるのに成功した。数世紀の孤立の後、日本の明治維新は他の国から選択的に学んでいった。そして50年以内にヨーロッパの大国であるロシアを破るまでに強くなったのだ)
ナイのこの描写も完璧とは言えないと私は思っています。ペリーの来航によって日本は関税自主権や領事裁判権などを押し付けられますが、ある時からアメリカの姿が突然日本から消えたのでした。それはアメリカで南北戦争が始まったからです。
内田 樹さんは南北戦争がなければ日本はアメリカの植民地になったかもしれないと書いています。私はそこまでは思いませんが、中南米のようにアメリカの干渉でふらふらになっていた可能性は否定できません。
ということで、日本の明治維新と経済大国化の背景にはどちらもアメリカの「大衆の暴発」が関係しているのです。
明治維新ー南北戦争
経済大国ー赤がり
そこで現在です。現在の日本では「基地問題」などを背景に日本はアメリカの「属国」ではないのかという問題提起がたくさんの論者からなされています。私も同感ですが、どのようにアメリカの属国から逃れるかの方法があるのかわかりませんでした。ところがアメリカのバブル崩壊によってアメリカでは「茶会」という大衆の怒りが爆発する様子を見せ始めたのでした。
「茶会」の勢いが拡大し、これが日本の「明治維新」の背後にあった「南北戦争」また「経済大国」の背後にあった「赤狩り」に匹敵する影響を与えるのかが私の今一番気になることなのです。
Japan’s economy has suffered two decades of slow growth because of the poor policy decisions that followed the collapse of the country’s massive asset-price bubble in the early 1990’s.
(日本経済は1990年代初頭のバブル崩壊後の惨めな経済政策のために20年もの低成長を余儀なくされた)
アメリカの知識人はバブル崩壊後の日本の経済政策にとても否定的な評価しかあたえません。しかしリチャード・クーさんが書いているように、日本のバブル崩壊の富の損失はアメリカで起きた1929年の大恐慌に匹敵するものでした。このときアメリカではバブル崩壊後の処理を誤り、GDPは半分になり、失業率も20%を超えていたのでした。これに比べたら日本の方がましなように感じるのは私だけなのでしょうか。
さらに今回のアメリカにおける不況もクルーグマン教授のブログを読んでいると、しきりにニッポニゼーション(日本化)を危惧しておられます。そこでアメリカの低成長が長引けばどのようなことが起きるか考えてみましょう。
日本では1998年でデフレが始まってから自殺者が3万人を超えました。アメリカではこのようなことがおこるとは思いませんが、「怒れる大衆」のポピュリズムがじわじわと広がっていっています。そして私はこのアメリカのポピュリズムがこれからの日本に多大な影響を及ぼすと考えています。ナイ教授は戦後の日本経済について次のように書いています。
On the eve of World War II, Japan accounted for 5% of the world’s industrial production. Devastated by the war, it did not regain that level until 1964. From 1950 to 1974, Japan averaged a remarkable 10% annual growth rate, and by the 1980’s was the world’s second largest national economy, accounting for 15% of global output.
(第2次世界大戦以前、日本の工業生産は世界の5%を占めていた。戦争によって破壊されたため戦前に戻ったのは1964年のことだった。1950年から1974年まで日本経済は毎年約10%の成長をとげ、1980年までに世界で第2番目の経済大国になり世界の富の15%を占めるに至ったのである。)
このような経済成長が達せられたのは日本人の努力の賜物ですが、戦後のアメリカの日本に対する政策の変更も無視できません。戦前のアメリカでは一般大衆の間でも広範な中国びいきの感情が存在しました。ところが、中国は戦後に共産主義の国になり、朝鮮戦争ではアメリカと戦うことにまでなってしまったのです。
片岡鉄哉先生は「あれだけ日本との抗戦を応援してやったのに、その恩をあだで返すのか。これは裏切りだ。一体『クリスチャン・アンド・デモクラティック・チャイナ』なんていうとんでもない夢を売りつけたのは誰だ。国務省に赤の手先がいるのだろう。そいつらを吊るし上げよう」と書かれています。
これがあの有名な「赤狩り」の契機になったのでした。このアメリカの政策転換が日本に有利に働いたのでした。
では、「明治維新」は一体どうだったのでしょうか。ナイはこの論文で日本の明治維新についても書いています。
This was not the first time that Japan had impressively reinvented itself. A century and a half ago, Japan became the first non-Western country to adapt successfully to modern globalization. After centuries of isolation, Japan’s Meiji restoration chose selectively from the rest of the world, and within 50 years the country had become strong enough to defeat a European great power, in the Russo-Japanese War.
(日本が自己を再発見したのはこれが初めてではない。いまから1世紀半前、日本は最初の非西洋諸国で近代国家に生まれ変わるのに成功した。数世紀の孤立の後、日本の明治維新は他の国から選択的に学んでいった。そして50年以内にヨーロッパの大国であるロシアを破るまでに強くなったのだ)
ナイのこの描写も完璧とは言えないと私は思っています。ペリーの来航によって日本は関税自主権や領事裁判権などを押し付けられますが、ある時からアメリカの姿が突然日本から消えたのでした。それはアメリカで南北戦争が始まったからです。
内田 樹さんは南北戦争がなければ日本はアメリカの植民地になったかもしれないと書いています。私はそこまでは思いませんが、中南米のようにアメリカの干渉でふらふらになっていた可能性は否定できません。
ということで、日本の明治維新と経済大国化の背景にはどちらもアメリカの「大衆の暴発」が関係しているのです。
明治維新ー南北戦争
経済大国ー赤がり
そこで現在です。現在の日本では「基地問題」などを背景に日本はアメリカの「属国」ではないのかという問題提起がたくさんの論者からなされています。私も同感ですが、どのようにアメリカの属国から逃れるかの方法があるのかわかりませんでした。ところがアメリカのバブル崩壊によってアメリカでは「茶会」という大衆の怒りが爆発する様子を見せ始めたのでした。
「茶会」の勢いが拡大し、これが日本の「明治維新」の背後にあった「南北戦争」また「経済大国」の背後にあった「赤狩り」に匹敵する影響を与えるのかが私の今一番気になることなのです。