アメリカが現在のイスラエルを支持する背景にはイスラエルに対する「理想主義」があります。今回は1920年代にもあった中国に対するアメリカの「理想主義」がどのように変わっていたのかをみてみます。
蒋介石を中国のジョージ・ワシントンとよぶアメリカのマスコミ風潮はアメリカの中国外交にも着実に変化をもたらしていきます。
中国が日本との条約を一方的に破っても、日本人にテロをおかしてもアメリカは中国を大目にみようとします。
このようなアメリカの態度にワシントン体制をつくることに尽力した幣原喜重郎を筆頭とする日本の国際派の外交官たちは衝撃を受けます。佐分利貞男という日本の外交官はこのようなアメリカの中国外交は非現実な愛他主義に陥ると警告していたのですが、アメリカに聞いてはもらえませんでした。
結局、日本の陸軍がこのような状態に怒って満州事変を起こしたのですが、アメリカの中国に対する「理想主義」はますます燃えさかっていくのでした。
日本が真珠湾攻撃を起こしたことで、日本はアメリカと中国の共通の敵になりました。いよいよ米中の軍事協力が盛んになり、アメリカの将官たちが中国に派遣されることになります。
ここにいたってようやくアメリカ人の一部は中国の現実に気づくことになります。蒋介石は後に共産党と戦うために日本と真剣に戦う気がなかったので、それもアメリカには不満でした。
日米戦争の末期になるとアメリカの中国に対する「理想主義」は国民党の腐敗もあって、ほとんど「失望」に変わりました。アメリカのジャーナリストの中では中国共産党に魅力を感じる人もでるようになってしまったのです。
いよいよ国共内戦が始まり国民党が負け続けアメリカが支えきれなくなるとアメリカは「中国白書」を発表して国民党を切り捨てました。
このようにアメリカの中国に対する「理想主義」は国民党の切り捨てで終わったのですが、これだけではすみませんでした。
アメリカでは中国の「理想主義」に失望した人たちが国内の「犯人探し」を始めたのです。イギリスの歴史家クリストファー・ソーン教授は『米英にとっての太平洋戦争』に次のように書いています。
「だが、1944ー1945のみならず、戦後にも続く中国に対するアメリカの失望は国務省の願いにも関わらず政策の再検討や再調整にはつながらなかった。・・・そのショックを多くの人々に説明するのに陰謀説というもっとも粗雑な手段が用いられることになった・・・」
ソーンによれば中国に対する失望がマッカーシー議員による赤狩りに発展したというのです。
最後にこれまで書いたことを簡単にまとめてみます。
1、中国を非現実的に考えるアメリカの「理想主義」
2、いずれいやおうなく中国の「現実」を知るときがやってきます。
3、その結果「理想」は「失望」へ変化。
4、支えきれなく中国国民党を「切り捨て」
5、最後にアメリカ国内での全体主義的な「犯人探し」
私は今アメリカが行っているイスラエルに対する「理想主義」的な外交も中国に対するのと同じような結果になると思っていますので、次回はそのことについて書いてみます。
蒋介石を中国のジョージ・ワシントンとよぶアメリカのマスコミ風潮はアメリカの中国外交にも着実に変化をもたらしていきます。
中国が日本との条約を一方的に破っても、日本人にテロをおかしてもアメリカは中国を大目にみようとします。
このようなアメリカの態度にワシントン体制をつくることに尽力した幣原喜重郎を筆頭とする日本の国際派の外交官たちは衝撃を受けます。佐分利貞男という日本の外交官はこのようなアメリカの中国外交は非現実な愛他主義に陥ると警告していたのですが、アメリカに聞いてはもらえませんでした。
結局、日本の陸軍がこのような状態に怒って満州事変を起こしたのですが、アメリカの中国に対する「理想主義」はますます燃えさかっていくのでした。
日本が真珠湾攻撃を起こしたことで、日本はアメリカと中国の共通の敵になりました。いよいよ米中の軍事協力が盛んになり、アメリカの将官たちが中国に派遣されることになります。
ここにいたってようやくアメリカ人の一部は中国の現実に気づくことになります。蒋介石は後に共産党と戦うために日本と真剣に戦う気がなかったので、それもアメリカには不満でした。
日米戦争の末期になるとアメリカの中国に対する「理想主義」は国民党の腐敗もあって、ほとんど「失望」に変わりました。アメリカのジャーナリストの中では中国共産党に魅力を感じる人もでるようになってしまったのです。
いよいよ国共内戦が始まり国民党が負け続けアメリカが支えきれなくなるとアメリカは「中国白書」を発表して国民党を切り捨てました。
このようにアメリカの中国に対する「理想主義」は国民党の切り捨てで終わったのですが、これだけではすみませんでした。
アメリカでは中国の「理想主義」に失望した人たちが国内の「犯人探し」を始めたのです。イギリスの歴史家クリストファー・ソーン教授は『米英にとっての太平洋戦争』に次のように書いています。
「だが、1944ー1945のみならず、戦後にも続く中国に対するアメリカの失望は国務省の願いにも関わらず政策の再検討や再調整にはつながらなかった。・・・そのショックを多くの人々に説明するのに陰謀説というもっとも粗雑な手段が用いられることになった・・・」
ソーンによれば中国に対する失望がマッカーシー議員による赤狩りに発展したというのです。
最後にこれまで書いたことを簡単にまとめてみます。
1、中国を非現実的に考えるアメリカの「理想主義」
2、いずれいやおうなく中国の「現実」を知るときがやってきます。
3、その結果「理想」は「失望」へ変化。
4、支えきれなく中国国民党を「切り捨て」
5、最後にアメリカ国内での全体主義的な「犯人探し」
私は今アメリカが行っているイスラエルに対する「理想主義」的な外交も中国に対するのと同じような結果になると思っていますので、次回はそのことについて書いてみます。