ジョン・ミアシャイマー教授とスティーブン・ウォルト教授が書いた The Israel Lobby And U.S. Foreign Policy という本をようやく再読し終わりました。
この本の中で著者は、イスラエルを応援するロビー団体によってアメリカの中東外交がイスラエルよりにゆがめられているために、アメリカの国益になっていないと厳しく批判しています。
さらにイスラエルを応援しているのはユダヤ系の人々だけでなく、4000万ともいわれるキリスト教右派も宗教的情熱からイスラエルを理想主義的にとらえてイスラエルのやることを何でも支持していると指摘しています。
じつはこのような宗教的情熱からくるアメリカの「理想主義」と「ロビー外交」が組合わさったのはアメリカとイスラエルの関係が初めてではないのです。
1920年代からアメリカのアジア外交にも同じような「理想主義」と「ロビー外交」の組み合わせが存在しました。
それは国民党の中国に対するアメリカの外交でした。
寺島実郎さんは「アメリカのワシントンで、戦前から戦中戦後と、いわゆるチャイナ・ロビーという言葉があるんですけれども、中国を支援して、反日親中国の論陣あるいは活動を展開していた一群のグループがあるんです。例えば、ヘンリー・ルースなんというタイム・ワーナーの創始者なんかがその中心にいた人物です。」と語っています。
このような中国に対する思いやりの背景にはアメリカの中国での布教活動が存在していました。
1920年代のアメリカのアジア外交を記した米外交官アントワープ・マクマリーの『平和はいかに失われたか』という本はこのブログで何回も取り上げましたが、彼は次のように書いています。
「アメリカにおける宗教組織の強力な党派性は、新聞論調に反映された。中国国民党は1776年(アメリカ独立の年)の愛国精神と二重写しにされ、蒋介石は中国のジョージ・ワシントンと目されることが少なくなかった。このような動きはアメリカの議会と行政府の双方に対し、かなりの圧力になって作用した」
マクマリーは「イスラエル・ロビー」を書いたミアシャイマー教授とウォルト教授と全く同じことを指摘しています。
将来のアメリカの中東に対する外交を予想する上で、戦前のアメリカの中国国民党に対する外交は「理想主義」と「ロビー外交」が同じように組み合わさっていることで格好のモデルになります。
そこで次回はアメリカの中国に対する「理想主義」がどのように変化していったのかをみたいと思います。決してアメリカにとってハッピー・エンドとはならなかったのです。
この本の中で著者は、イスラエルを応援するロビー団体によってアメリカの中東外交がイスラエルよりにゆがめられているために、アメリカの国益になっていないと厳しく批判しています。
さらにイスラエルを応援しているのはユダヤ系の人々だけでなく、4000万ともいわれるキリスト教右派も宗教的情熱からイスラエルを理想主義的にとらえてイスラエルのやることを何でも支持していると指摘しています。
じつはこのような宗教的情熱からくるアメリカの「理想主義」と「ロビー外交」が組合わさったのはアメリカとイスラエルの関係が初めてではないのです。
1920年代からアメリカのアジア外交にも同じような「理想主義」と「ロビー外交」の組み合わせが存在しました。
それは国民党の中国に対するアメリカの外交でした。
寺島実郎さんは「アメリカのワシントンで、戦前から戦中戦後と、いわゆるチャイナ・ロビーという言葉があるんですけれども、中国を支援して、反日親中国の論陣あるいは活動を展開していた一群のグループがあるんです。例えば、ヘンリー・ルースなんというタイム・ワーナーの創始者なんかがその中心にいた人物です。」と語っています。
このような中国に対する思いやりの背景にはアメリカの中国での布教活動が存在していました。
1920年代のアメリカのアジア外交を記した米外交官アントワープ・マクマリーの『平和はいかに失われたか』という本はこのブログで何回も取り上げましたが、彼は次のように書いています。
「アメリカにおける宗教組織の強力な党派性は、新聞論調に反映された。中国国民党は1776年(アメリカ独立の年)の愛国精神と二重写しにされ、蒋介石は中国のジョージ・ワシントンと目されることが少なくなかった。このような動きはアメリカの議会と行政府の双方に対し、かなりの圧力になって作用した」
マクマリーは「イスラエル・ロビー」を書いたミアシャイマー教授とウォルト教授と全く同じことを指摘しています。
将来のアメリカの中東に対する外交を予想する上で、戦前のアメリカの中国国民党に対する外交は「理想主義」と「ロビー外交」が同じように組み合わさっていることで格好のモデルになります。
そこで次回はアメリカの中国に対する「理想主義」がどのように変化していったのかをみたいと思います。決してアメリカにとってハッピー・エンドとはならなかったのです。