引き続き浅田真央選手のことを書いてみます。

 日本人がヨーロッパ発の競技で強くなるとたびたびルール改正が行われたことは前に書きました。

 しかし、トリノの世界選手権を見てもわかるように、イタリア人の歓声には真央選手に対して暖かいものがありました。また他のブログから得た情報ですけれども、真央選手はフランスなどでも以前から大変人気があるようです。

 このようなヨーロッパの人々の反応を見て、私が思ったのはユダヤ系フランス人のエマニュエル・トッドが『帝国以後』という本に書いていた次のような言葉です。

 「日本の住民の深層の感受性はおそらくヨーロッパ人のそれにきわめて近いと思われる」

 では何故日本人と感受性が同質なヨーロッパ人たちがよってたかってここ2年間ほど浅田真央選手の足を引っ張るようなことに加担して、キム・ヨナ選手を持ち上げることばかりしたのでしょうか。

 キッシンジャーの『外交』という本にフランスのリシュリュー卿の話が出てきます。彼は近代の「国家制度」を作った父だとキッシンジャーは書いています。それまでのヨーロッパは何にも増して宗教的価値観が第一番にきたのですが、リシュリュー卿は宗教よりも国家の利益を第一に考えたそうです。

 国家は国益のためには何でもするのだという『国家理性』(レーゾン・デタ)の思想が宗教第一とする中世を終わらせることになりました。このフランス発の思想がヨーロッパ全体に広がり近代のヨーロッパ体制を作ったのでした。

 だから、いくらヨーロッパの人々が浅田真央選手の演技に素晴らしいと感じたとしても実際にルール作りの場になると各国がいかに自国の選手を上位につけかという「レーゾン・デタ」に血眼になり本来公正であるはずのルールがゆがめられてしまうわけです。

 そこで日本人やアメリカ人からみてもヨーロッパが中心の組織は腐敗しているように見えて実際に腐敗しているのでした。