今回は日露戦争時代の韓国(大韓帝国)の外交をみながら、日韓ワールドカップや今回のオリンピックの問題について考えてみます。主にウィキペディアから引用しています。

 第一次日韓協約について

「日露戦争中ではあるが、この条約が結ばれた時期には朝鮮半島での戦闘は終了し、韓国は事実上日本の占領下に入っていた。しかし、高宗はこれを良しとせず、ロシアに密使を送る、1905年(明治38年)3月26日韓国皇帝のロシア皇帝宛の密書が発覚。その後も7月にロシア、フランスへ、10月にアメリカ、イギリスに密使を送る。これらの行動を受けて、日本政府は大韓帝国が外交案件について日本政府と協議のうえ決定・処理しなければならないとしていた同条約を遵守する意志がないと考え、日本が韓国の外交権を完全に掌握できる第二次日韓協約の締結を要求するようになる。」

 日露戦争中に韓国は激しくロビー活動を展開します。ところが最後には日本にばれてしまい、さらに厳しい条約をつきつけられます。それが第2次日韓協約です。

 「日本は日露戦争中である1904年の第一次日韓協約締結により韓国の財政・外交に対し関与する立場となっていたが、日露戦争の講和条約であるポーツマス条約(1905年9月5日)により韓国に対する優越権をロシアから承認され、また高宗が他の国に第一次日韓協約への不満を表す密使を送っていたことが問題となったこともあり、日本からの信頼を無くしていた大韓帝国に対し、より信頼できる行動をとることを求めるため、この協約を結ぶこととなった。」

 これで韓国との問題が落ち着くかと思われていたのですが、韓国のロビー活動は逆に激しくなります。ここで有名な「ハーグ密使事件」というものが起こります。

 「協約締結後の1907年に、協約の無効を主張する高宗の親書をたずさえた密使が万国平和会議に派遣されたが国際的には有効な協約であったため、拒絶された(ハーグ密使事件)。この密使の派遣が問題となり、高宗は李完用らに責任を問われ皇帝の地位を純宗に譲ることとなり、第三次日韓協約の調印へと進むこととなった。」

 このように韓国は日本に対して徹底的にロビー活動を展開して国家を守ろうとしますが、結局はばれてしまいさらなる厳しい条約を適用されることになってしまいました。

 「やり過ぎのロビー活動は国益を害する」という教訓を韓国が得てくれれば良かったのですが、現在も「ロビー活動」で日本をつぶすという大韓帝国の外交は確実に生きています。

 それが展開されたのが日韓ワールドカップ共催であり、今回のオリンピックの女子フィギアでありました。しかし、大韓帝国のロビー外交が決してうまくいかなかったように、日韓のワールドカップ共催も結局は韓国の国益になったかは疑わしいです。(よかったらNereide Design Blogを見てください)

 今回の女子フィギアの問題も必ずbacklashがあるんじゃないかと私は思っています。