今日の『産經新聞』に鳥居民さんが小沢一郎について書かれていました。相変わらず鋭い分析なので転載させてもらいます。

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 国立国会図書館は東京都千代田区永田町にある。ここには第二次大戦が終わるまでドイツ大使館があった。道路を隔てて西隣に参議院第二別館がある。かつてそこに邸を構えていたのが伊東巳代治である。この欄の読者は伊東の二字を見て、おぼろげな記憶があるだろう。伊藤博文の側近で、明治憲法制定作業に参画した。昭和のはじめまで枢密顧問官だった。
 その通り、枢密顧問官だったかれは昭和9(1934)年2月に没した。77歳だった。これから記すのは伊東巳代治の人物像についてである。
 ≪腕力と才幹を発揮した≫
 馬場恒吾は第二次大戦の前からあとにかけての高名な政治評論家だった。かれは伊東を評して「才幹、機略、精悍(せいかん)の気象」は人並み外れていると説いた。山下亀三郎は第二次大戦の前に山下汽船を築き上げた企業家だが、伊東を指して「その見識、腕力、胆力は、実に無類飛び切り」と記した。
 伊東がその腕力と才幹を存分に発揮してみせたのは、日清戦争に際しての伊藤博文内閣の内閣書記官長だったときであり、まだ、30代だった。だが、法制、外交に造詣が深く、並々ならぬ実行力を持ちながら、大正時代を伊東時代にすることができなかった。帝室制度に大きな貢献をしたにもかかわらず、宮内大臣にもなれず、それを足場にして、その昔の遊里の遊び仲間、西園寺公望の向こうを張り、最後の元老となる夢も果たせなかった。
 運に恵まれなかったのではない。伊東は二つの「私(わたくし)」があまりにも強すぎた。この闘争心にあふれた政治家は同輩や部下が自分と違う考えを持つこと、態度決定を異にすることを許さなかった。同僚と有能な部下たちはいずれもかれから離れた。
 かれのもうひとつの「私」は蓄財の欲望だ。あらゆる情報、すべての機会を自己の財産を増やすことに利用した。かれが宮内大臣になることに反対したのは、元老の山県有朋であり、伊東の「金銭欲」を警戒してのことだった。宮廷費をポケットに入れ、造園費用に充てたと非難された人物が反対したのである。
 ≪「古釘」とうそぶく壊し屋≫
 山県は伊東を枢密院に入れた。伊東はそこから元老への道を開くこともできた。ところが、かれはその「天皇の至高顧問の府」を思いのままに操り、歴代の内閣を思うままにいじめ、だれをも震え上がらせた。昭和2年には若槻礼次郎内閣を倒した。昭和5年のロンドン軍縮条約締結に際しては、あとに大きな混乱を呼ぶ災いの種を蒔(ま)くことになった。
 かれは、自分には二つの強烈な「私」があって、大政治家への道は閉ざされていると悟ったのかもしれない。「俺(おれ)は道に落ちている古釘(くぎ)だ」とは、この壊し屋が語った台詞(せりふ)だ。いまから80年、100年前、道路の多くは舗装されず、庶民は藁(わら)草履をはいていた。「俺を踏みつけてみろ。破傷風に罹(かか)るぞ」とかれは言った。破傷風の致死率は当時、50%だった。
 ≪自民党訪中団の領袖を潰す≫
 どうして壊し屋、伊東巳代治を私が取り上げたか、読者はとうにおわかりだろう。「俺は古釘だ」と周囲を脅した伊東巳代治にだれよりもよく似た現在の政治家は小沢一郎氏である。
 なるほど伊東は枢密院を支配しただけだった。現在、小沢氏が支配しているのは衆議院と参議院だ。だが、かれがこの大きな力を持つようになったのは、この数カ月のあいだのことにすぎない。
 このあいだにかれがやった最大の盛事は、昨年12月に国会議員140人を含む600人を引き連れての訪中であろう。多くの人から愚劣、軽率な行動と非難されたのだが、かれ自身は十二分に満足だったのであろう。
 こういう次第だ。かつて小沢氏の一の側近であり、のちに離反したのが自民党の衆議院議員、二階俊博氏である。昨年末の小沢氏の訪中団が「長城計画」と名付けられていたことから、いぶかる向きも多かったが、そもそも、天安門事件で国際的に孤立した中国に手を差し伸べようとしてはじめた二階氏の訪中団の名称だった。
 10年前には、二階氏は5千人の訪中団を連れて行きもした。「媚中派」の非難など歯牙にもかけず、ある新聞の見出しが記したとおり、氏は「日中貫く政治とカネ」の強い紐帯(ちゅうたい)をつくりあげた。
 小沢氏が昨年末の訪中でやろうとしたことは、自民党の領袖のひとりである二階氏のすべてを潰(つぶ)すことにあった。小沢氏の「私」は大いに満たされたのであろう。
 そして、そのあと小沢氏は(沖縄の)「あの青い海に基地をつくってよいのか」と歯の浮くような台詞を口にして、北京にさらにおもねることになる。
 はじめに戻る。伊東巳代治は第一級の政治資質を持ちながら、壊し屋となり、「俺は古釘だ」と威嚇し、陰惨なゲームを弄(もてあそ)ぶ政治家となって終わった。同様に二つの「私」があまりにも強い小沢氏が歩む道は、伊東の足跡を辿ることにならざるをえない。