第1次大戦後に「ヨーロッパ統合」を唱えた青山栄次郎と冷戦終了時に「リベラル・デモクラシー」の普遍性を唱えたフランシス・フクヤマには同じような共通点が存在するのを私は発見しました。

 それは、彼らが血縁で日本とつながっているのにもかかわらず、日本の歴史や伝統にほとんど興味を持っていないという点です。

 以前、マイク・モチズキというアメリカの日本研究者が語っていた事ですが、アメリカの日系の知識人は二つのパターンに別れるそうです。一つ目は、自分のルーツが気になって、それを探求しようという場合。もう一つはあえて意識的に自分のルーツを無視して、全く関係ない分野に挑戦する場合です。フクヤマの場合は明らかに後者の立場なのです。

 青山の場合も西洋の哲学を勉強しようとしてウィーン大学に進学し、卒業論文に博士号が与えられるほどの能力を示したのでした。一方フクヤマも最初はコーネル大学で、アラン・ブルームという有名な哲学者に学んでから、ハーバードに進学しました。彼らの学問に日本は全く関係していません。

 しかし、逆説的ではありますが、青山やフクヤマという明らかに西欧とは異質な世界とかかわりを持つ者が西欧世界の歴史や哲学を勉強することで何らかの葛藤があったであろう事は容易に想像できます。

 結果として、彼らは物事の「差異」を強調することよりも、制度の「普遍性」を提唱する立場になるのではないでしょうか。

 青山が日本人との関係があったが故に、チェコ人やフランス人やドイツ人との差異を超えて、ヨーロッパ統合を主張したように、フクヤマもリベラル・デモクラシーが西欧世界だけのものとは思われず、その普遍性を唱えたのでした。

 このように考えれば、日系の青山やフクヤマがリベラルな制度を提唱する理由は納得できますが、一方で「ヨーロッパ統合」や「自由民主主義制度の普遍性」を唱えたのが、なぜ中国系や韓国系または他のアジア系でなく日系だったのかという疑問は残ったままなのです。

 なぜなら韓国系や中国系のアメリカ人がアメリカで学問をしようとすれば、多かれ少なかれマイク・モチズキが語った事はあてはまると思います。しかしヨーロッパ統合やリベラル・デモクラシーの普遍性を唱えたのは韓国系や中国系ではなく日系なのでした。

 結論として、青山やフクヤマがリベラルな制度を唱えたのが、日本のDNAを持っていたからだとする説も完全には否定できないのでした。
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