青山栄次郎ことクーデンホーフ=カレルギー伯爵がヨーロッパの統合を唱えた『パン・ヨーロッパ』という本を書いたのが1923年でした。ちょうどこの年にヒトラーが『我が闘争』を口述筆記しています。『我が闘争』は1925年に出版される事になります。

 1929年にアメリカ発の世界大恐慌が勃発し、ドイツではヒトラーが政権を握りました。第2次大戦中、青山栄次郎はアメリカで生活することを強いられました。彼はもろに日系人ですので、アメリカの強制収容所に入れられる可能性があったのですが、どういうわけかこの期間ニューヨーク大学の教授を務めていたのでした。

 青山の「ヨーロッパ統合」という夢は、ヒトラーが自害した後に達成される事となったのです。

 前回書いたように、私は青山の経歴をみながら、アメリカの日系知識人フランシス=フクヤマを思い浮かべてしまいました。

 フクヤマは1989年に『ナショナル・インタレスト』という雑誌に「歴史の終わり」という論文を発表します。その内容は共産主義と自由民主主義の競争は自由民主主義の勝利で終わったのだとし、これからは世界各地で普遍的な自由民主主義体制が広がっていくだろうというかなり楽観的な見通しを述べていたのでした。

 一方ハーバード大学教授のサミュエル・ハンチントンが『フォーリン・アフェアーズ』で「文明の衝突」という論文を1993年に発表します。この論文は世界では異なる文明観の競争が始まるという悲観的なトーンで書かれていました。

 アメリカで9.11事件が起こり、アメリカがイスラム諸国と対立を深めた結果、ハンチントン説の方が有力になっているのが現在の状況です。

 しかし、私は思うのですが、やはり長期的な未来を想像すれば、フクヤマの描くような世界の方が正しいのではないでしょうか。

 さて、青山栄次郎とフランシス・フクヤマはその当時としては最もリベラルな世界観を提唱しています。青山の場合は第1次大戦後に「ヨーロッパ統合」を訴え、フクヤマは冷戦の終わり近くで「自由民主主義制度の普遍性」を訴えたわけです。

 そして、この両者に日本が関係しています。これは偶然なのでしょうか。『青山栄次郎伝』を書いた林さんも次のように指摘しています。

 「今から80年ほど前、ヨーロッパの統合を訴え、かつ現実に統合を目指す運動に身を捧げ、その結果ナチスに命を狙われた人物がいた。
 彼の理念は、現代におけるヨーロッパ統合の思想のさきがけとして、もっと高い評価を与えられるべきであるし、将来はそうなっていくであろう。
 そしてこの人物は、東京・牛込の町娘を母として日本で生まれ、青山栄次郎という名前を授かった、われわれの同胞なのである」

 次回は青山栄次郎とフランシス・フクヤマ両者の日本との関わりを書いてみます。
人気ブログランキングへ
 お手数ですが、よろしくお願いします。