民主党が政権をとった時に静岡県立大学の大礒正美さんは日本で「共産主義革命」が起きたとおもしろいことを言っていました。というのも共産主義の国家では権力は首相が持っているのではなく、共産党書記長がもっているからです。民主党政権では小沢幹事長に権力が集中しすぎていると考えているのでしょう。

 この議論でもわかるように、どうも日本人は一人の人物に過度の権力が集中することを嫌がるようです。小沢一郎が大多数の日本人に嫌われるのはこの点からでしょう。

 しかし私は思うのですが、国民から選ばれた政治家が権力を集中させようと考えることは本当に悪いことなのでしょうか。戦前の日本の失敗を考えると私にはそうは思えないのです。

 戦前に首相をつとめたことがある近衛文麿公は戦後に書いた手記で次のように述べています。

 「然るに、日本の憲法というものは、天皇親政の建前であって、英国の憲法とは根本に於いて相違があるのである。殊に統帥権の問題は、政府に全然発言権なく、政府と統帥部との両方を押さえ得るものは陛下御一人である。然るに陛下が消極的であらせられることは平時には結構であるが、和戦いずれかというが如き国家生死の関頭に立った場合は障碍が起こりうる場合なしとしない」

 近衛首相は日米対立の原因となっていた「中国からの撤兵」を陸軍大臣の東条英機に受け入れてもらおうと努力しました。しかし東条は「無名の師」(大義名分の無い戦争)となってしまうことを恐れ決して首を縦に振りませんでした。

 次に近衛公はルーズベルトと直接対話を行い、中国からの撤兵を約束して(その代わりアメリカには経済制裁を解除させる)、天皇に直接「聖断」を求めようと考えましたが、土壇場になってルーズベルト政権に直接会談を開くこと拒否されてしまいます。結局彼は首相を辞任せざるを得なくなりました。

 さて次に首相となった東条英機ですが、福井雄三氏の『板垣征四郎と石原莞爾』という本に「東条英機がミッドウェー海戦の大敗北を、終戦の日にいたるまで知らされていなかったのは有名な話である」と書いています。

 首相に閣僚の罷免権もなく、陸軍と海軍を統合する参謀本部がない状態でアメリカとの戦争に至ってしまったのでした。

 なぜ明治憲法に首相の規定がなかった理由は、当時の明治の元勲たちが「幕府」のような巨大な権力をつくってはいけないと考えたからでしょう。当時から日本人は「独裁者」が大嫌いなのでした。

 戦後の憲法でも首相の権力が強まったかのように見えますが、官僚制度は戦後も温存されたために自民党最後の麻生政権でも官僚が嫌がる政策は遂行できなかったのです。

 近代の立憲主義というものは国家権力を抑制することが目的だとよくいわれますが、権力をばらばらにしていたら決して強力な政策は遂行できないでしょう。

 小沢一郎が嫌われている理由が「権力の集中」でなく「金権」だったら私は納得するのですが。
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