以前ほとんど思いつきで現在の「平成」は「大正」時代に似ているのではないかと書きました。

 今週の『週刊朝日』に明治の財界人、渋沢栄一が大正時代に言っていたことが掲載されています。納得できることが多かったので、少し書いてみます。

 渋沢は大正に入り「一般が保守退嬰の風に傾いておる」と嘆いています。そして、

 「社会の上下一般に元気が消沈して、諸般の発達すべき事柄が著しく停滞してきたようである。その日その日を無事に過ごしさえすればよいという順行のあるのは国家社会にとってももっとも痛感すべき現状ではあるまいか」と語っています。

 この言葉を渋沢栄一の子孫であられる渋沢健氏は「日露戦争に勝った後であれば、なおさら西洋社会に追いついたと考えてしまっても不思議ではありません」と解説していますが、バブル経済以降の日本人の考えと同じじゃないかと私は思います。

 実はこの「閉塞状況」を脱するために、日本人は大正の後期から昭和の初期にかけて政権交代可能な政党政治に期待したのです。

 この時に有名になったのが弊原外交や田中(義一)外交で両方とも中国市場に期待をかけるという戦略をとります。しかしながら、結局は中国の国内政治に振り回されるだけに終わりました。日本国民は次第に政党政治に幻滅を抱くようになってしまいました。

 そのような時に起こったのが陸軍による満州事変でした。満州に夢を見ることで日本の「閉塞感」を打ち破ろうとしたのですが、この路線は14年後に破綻してしまいました。(ちなみに渋沢栄一が亡くなったのは満州事変の起こった年、昭和6年だそうです)

 さて平成の日本人も政権交代により「閉塞感」の打破を求めたのですが、現在の鳩山政権は今のところ成功していません。より「閉塞感」を強めているように筆者には感じられます。

 そのような時に登場してきたのが「東京地検特捜部」だったのです。私がよく読んだりする保守系のブログでは圧倒的に「検察頑張れ」が多いようです。

 しかし、私は思うのですが「検察」に期待して本当に日本人は幸せになるのでしょうか?
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