以前、日本が偵察衛星を持とうとした時、リチャード・アーミテージや現在国務次官補を務めているカート・キャンベルらが反対した事について書きましたが、今回は他の兵器についても書いてみようと思います。

 1998年北朝鮮がテポドン・ミサイルを日本列島を通過するように発射したことがありました。この事件によって、日本はそれまで躊躇していたアメリカのミサイル・ディフェンスに加入することが決まりました。

 一方、2006年またもや北朝鮮が日本海に向けて7発の短距離ミサイルを発射した時に、日本では敵基地攻撃論が政府部内で持ち上がりました。しかし、いつのまにかうやむやに終わってしまいました。この問題について多母神元航空幕僚長は「自民党の政治家が二言三言しゃべっただけでマスコミの反対にあって議論まで断念せざるを得なかったと記憶している」と書かれています。

 本当にマスコミの反対だけで「敵基地攻撃論」は無くなってしまったのでしょうか?MD(ミサイル・ディフェンス)の時も日本のマスコミは「飛んでくる鉄砲玉を鉄砲玉で打ち返すようなものだ」と批判していました。しかしMDには予算がつき、よっぼど抑止力のある「敵基地攻撃」論がいつのまにか消滅してしまったのは、前者ではアメリカが賛成していたが、後者では反対していたからだと推測するのはうがった見方なのでしょうか。

 北朝鮮が核実験を行ったとき、故中川昭一議員が日本も核について議論すべきだと語った事があります。私は、中川氏に対して中国や北朝鮮から批判があるだろうと思っていましたが、彼の言葉に真っ先に反応したのはアメリカのライス国務長官でした。彼女はあわてて日本に飛んできて日本に対する「抑止」を保障して日本の核議論を沈静化させたのでした。

 筆者は、北朝鮮の核開発を止めるには最も影響力のある中国が動かなければならないと思っていました。日本が核武装することは中国が最も嫌がる事の一つですから、この問題を提起して中国が北朝鮮に対してもっと真剣になるよう説得できるものと考えていました。

 しかし、ライス国務長官はあっさりとこの政策を蹴ってしまったために、中国が北朝鮮に介入する動機も無くしてしまいました。結果的に北朝鮮は余裕で核開発が続けられることとなっているのです。

 今まで書いてきたように、アメリカは「日本に攻撃的な兵器を持たせない」という政策を一貫してとっているわけです。

 「日本は日米安保のお陰で防衛費がGDPの1%以内で済んでいる」とよく言われますが、真実は攻撃的な兵器を持つ事を禁止され、「専守防衛」だけに徹していたために、どんなに頑張ってもGDPの1%を超えることは無かったのです。
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