鳩山政権は結局基地問題の先延ばしを決めましたが、アメリカからは思ったような反発はありませんでした。マスコミでのあの「開戦前夜」の騒ぎはなんだったのでしょう。

 本題に入ります。フレデリック・ウィリアムズが書いた『中国戦争宣伝の内幕』で一貫しているテーマは日本人の「宣伝下手」という点です。

 彼は日中戦争などの戦前の日本の政策の目的をアジアを共産主義から守ることであると考えていたようです。

 「ソ連がずうっと存在する限り、共産主義の不気味な嵐の雲がアジアを恐怖で覆い尽くすのだと日本は理解している」

 当時、駐日大使を務めていたジョセフ・グルーも同じような認識を持っていました。しかし、アメリカには彼らの声はほとんど届きませんでした。

 この本を発掘し翻訳した田中秀雄氏は巻末で、「昭和の戦争という問題は昭和20年8月の戦闘が終わった時点までで論じられるべきではなく、日本敗戦後の世界情勢がどうなっていったかを見きわめて論じられるべきだからである。東アジアの場合を具体的にいえば、共産中国の成立、朝鮮半島における朝鮮戦争という2大事件がある。」

 このことを最も良く知っていたのが、戦後首相になった吉田茂でした。彼はダレス国防長官から朝鮮戦争中に兵を派遣してくれと頼まれた時に、これを徹底的に拒否したのでした。吉田はアジアを共産主義から守るという汚い仕事をアメリカ一国に任せようと決心したのでした。

 一方アメリカの国務長官ダレスにも考えがありました。孫崎享さんの『日米同盟の正体』に「ダレスが日本に攻撃能力を発展させない事を絶対譲れない点として求め、日米で合意した事である」と書いています。

 日米同盟の基礎を作ったのは吉田とダレスですが、2人の間には根深い不信感がありました。日本に攻撃的な兵器を持たせたくないダレスとアメリカの戦争に参加したくない吉田です。

 この「相互不信」によって結ばれた日米安保条約が戦後60年間も続いているのは本当に不思議です。
 この稿続く。
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