昨日、春原剛という人が書いた『ジャパン・ハンド』という本を読んでいたら、彼もウォルター・ミードのアメリカ外交4分類を用いていました。たしかにこの分類はアメリカの外交を知るのに有益だと筆者も思います。

 さて今回は、戦前に中国で公使を務めたこともあるアメリカの外交官ジョン・アントワープ・マクマリーの話をしようと思います。ケナンの『アメリカ外交50年』には次のように紹介しています。

 「第2次大戦のはるか以前から、権威ある観察者で中国大陸における日本の利益を覆し、また中国における外国政府の地位を毀損する傾向をますます強めていた国民党の政策の妥当性を疑問視していたものがいるからである。われわれのもっとも消息通の職業外交官の一人であったジョン・V・A・マクマリー氏は、引退されてから数年になるが、1935年に極めて思索的で予言的な覚え書きを書いた。」

 それが『平和はいかに失われたか』です。現在は絶版になっているようです。この本が無ければ1920年代の日本の外交がさっぱりわからないので、どこの出版社でもいいですから文庫で出して欲しいものです。

 さて、内田康哉(こうさいと読む)という日本が参加したワシントン会議の時に日本の外務大臣だった人がいます。彼は、ワシントン会議の成果は「世界恒久平和の樹立に対する一般人類の真摯なる要求の発露」であり、「実に現代世界の大勢は各国共に排他的利己主義を去って正直と平和のために国際協調を図り」と立派な演説をしています。

 ところが、中国においてナショナリズムが高まり、日本製品を「ボイコット」する運動や一方的に外国との条約を破棄する中国の行為が目立つようになり、内田伯爵は田中義一内閣の時にアメリカに協力を求める為に派遣されますが、アメリカにやんわりと拒否されます。その時の内田伯の心境をマクマリーは『平和はいかに失われたか』で次のように書いています。

 「ワシントン会議でアメリカがあれほど印象深く力説した道義的影響力なるものが、本当に明白で正しいものであったのか、あるいはアメリカ以外の国々に頑固に楯突くように中国人を鼓舞し、彼らにへつらっただけの無意味で偽善的なものだったのか。日本人は切実に知りたがっていた。われわれアメリカ人は結局中国びいきなのであり、中国の希望に肩入れする事により、協力国の利害に与える影響を無視しても自らの利益を追求しようとするー内田伯はこんな印象を抱いて去ったに違いない。」

 で、皆さん内田伯が最後どうのようになったかご存知でしょうか。彼は満州事変後に外相に復帰して次のように演説するのです。

 「日本国民はたとえ国土が焦土と化そうとも、一歩たりとも譲ることはできないと固く心に誓った」

 これが有名な「焦土演説」です。内田は「世界恒久平和」を唱えていましたがそれが一転「焦土演説」になってしまったのです。マクマリーの説明がなければ何故そうなったか全くわからなくなります。おそらく内田は国際協調という「理想」に希望を見いだしたのでしょうが、中国のナショナリズムとそれを抑制してくれないアメリカの「現実」に絶望したのです。それが「焦土演説」を生んだ背景でしょう。

 ところで、私は内田のワシントン会議時の演説は入江昭の『日本の外交』から引用し、「焦土外交」の方はクリストファー・ソーンの『満州事変は何だったのか』から引用しました。マクマリーはアジアの言葉が出来なかったそうですから、内田の演説は全く知らない可能性があります。それでもこの様に正確に想像できる驚くべき能力を持っているのでした。

 ケナンが吉田茂の心情を正確に読み取り、マクマリーが内田の心境の変化を説明する能力といい、ジェファソニアンの外交を読み解く能力にはただ頭が下がるばかりです。

 次回はパット・ブキャナンについて解説します。
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$勢力均衡
ミードの本 Special Providence です。