私ははじめ同志社大学・村田教授の「アメリカ外交」を批判しようと思って記事を書きだしたのですが、ついつい脱線して今まで考えていた事をはきだす結果になってしまいました。書評としては失格でしょうが勘弁してください。

 さて今回から3回位にかけてジェファソニアンの歴史観や国際政治に対する洞察力について書こうと思っています。まずはジョージ・ケナンからです。

 ケナンの本である『外交50年』は主に1950年の冬にシカゴ大学で行った講演を下敷きにしていますが、1950年といえばちょうど朝鮮戦争が始まった年でした。そのような時にケナンは日本の事を次のように書いています。

 「アジアにおけるわれわれの過去の目標は、今日表面的にほとんど達成されたということは皮肉な事実である。ついに日本は中国本土からも、満州及び朝鮮からも駆逐された。これらの地域から日本を駆逐した結果は、まさに懸命にして現実的な人々が、終始われわれに警告した通りの事となった。今日われわれは、ほとんど半世紀にわたって朝鮮および満州方面で日本が直面しかつ担ってきた問題と責任を引き継いだのである。他国がそれを引き受けていた時には、われわれが大いに軽蔑した重荷を、今自ら負うはめになり苦しんでいるのは、確かに意地の悪い天罰である。

 故・片岡鉄哉先生はこのケナンの文章からすばらしい分析を行います。中国の軍事介入があった後の1951年にジョン・フォスター・ダレスが講和条約の交渉に来日します。そこでダレスは地域的集団安全保障(つまりは朝鮮派兵)を求めます。ところが吉田首相はそれをかたくなに拒否します。片岡先生は当時の吉田茂の心情を次のように説明するのです。

 「つい5年前まで血を流して韓満を守ってきた日本は、侵略者にでっち上げられ、非武装化されました。それが敵を間違えたからという理由で再び中共の軍隊と交戦し死んでくれと言われたのです。・・・・アメリカが朝鮮半島に感じる苦痛当然の閥と思っていた吉田は韓国の世話はアメリカに押し付けようとしたのです」

 このように海外派兵を行わない「平和国家日本」という戦後の概念は吉田茂という帝国主義者の怒りから作られたのでした。

 一方、姜尚中氏がよく引用する学者にジョン・ダワーという人がいます。ダワーは『吉田茂とその時代』という本で、戦前の吉田茂は帝国主義者だったが、戦後反省して平和主義者になったと解釈しています。

 片岡先生の解釈とダワー教授の解釈はどちらが正解だと思いますか、どちらに歴史のダイナミズムを感じますか。答えは明らかでしょう。それにしても吉田茂がダレスに集団安全保障を拒否する以前から吉田首相の内心を把握できたケナンの洞察力には感嘆すべきものがあります。

 次回はアメリカの外交官であったアントワープ・マクマリーについて書こうと思っています。
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