中国その1 | 一陽来復

一陽来復

散歩、ごはん、プラモが至福のひととき

写真がほぼなく、記憶もかなり薄れてしまっているが中国を訪れたことを書いておこう。

ご覧の皆様、文章ばかりになってしまい申し訳ありません

 

 

中国という国に興味を持ったのは横山光輝氏のコミック「三国志」だ。

母親が読んでいたものを貸してもらった。中学生のころだったと思う。

読み始めたらすぐにもう止まらなくなって、漫画より先のストーリーが知りたくて

立間祥介氏の翻訳による 三国志演義 の文庫本を買ってしまった。

中国にいつかいってみたい。蜀の国を見てみたいとそのころから思っていた。

 

はじめて中国を訪れる機会を得たのは1990年頃だった。

11月頃だったろうか、北京に到着した時の体の底から感じる寒さが記憶に残っている。

翌朝、ホテルの窓から外をみるとそこらじゅうの建物から湯気がもくもくと湧いていた。

万里の長城(八達嶺)は、ほとんど階段を上るように歩く。山登りのようである。

景山公園から眺める故宮は「あっ」と息をのむほどの、これぞ朝廟という堂々たる姿を見せてくれる。

どちらもタイムスリップしたかのような感覚になる。

 

北京から夜汽車で洛陽にむかう。到着するのは次の日の夕刻だ。

客室に車掌さんがお湯を配りに来る。それでお茶を飲むのだ。

古都洛陽では名物とされる水席料理なるものをいただく。すべてが煮込み料理(スープ)なのである。

煮込み調理は素材のエキスだけを抽出して食するわけだから

中華料理において最も贅沢な料理法であると聞かされた。

龍門石窟や白馬寺などを見て回ったが20代前半の私には猫に小判であった。

しかし三国志に登場する地名の場所を訪れたことで私の心はかなり高揚した。

 

洛陽からふたたび列車に乗り西安にむかう。

丸一日列車だったと記憶している

西安では阿倍仲麻呂の石碑や旧市街に残る城壁を見ることができた。

夕食はなぜか日本食だったが、毎日中華(当たり前ですが)だったのでありがたいメニューだ。

 

西安から空路上海へ向かう。当時の国内線はソ連製のツポレフが多く使用されていた。

離陸後、中国語で機内アナウンスがあった。機内がざわついた。

北京から通しで案内してくれているガイドさん(わたしと同じくらい年の女性)はいつも

ニコニコして愛想のいい性格なのだが、みると顔がこわばってる。

「なんていってるんですか?」と聞くと「機体に異常があって引き返すみたい」だって

さーっと血の気がひいた。

しかし無事に着陸した。乗客はみんなおろされて、空港で待機。

整備するから待てということらしい。

やがて目の前の機体の貨物室から荷物を出し客室に積み込む作業をはじめた。

そして乗客の前で飛び立って、空港上空をぐるぐる旋回して再び戻ってきたのである。

「大丈夫だから乗れ」ということらしい。

機内で飲み物がだされたが冷えてない。

当時の中国では冷えたビールや飲料を出すという意識はなかったようだ。(だせなかったのだろう)

いよいよ上海着陸となって高度を下げ始めた時、すごい耳鳴りの症状が起きた。

私はさほどではなかったがひどい頭痛を訴えた旅客もいた。

与圧装置が故障したのだと思う。

よくも無事にたどり着けたものだ。

 

上海は大阪の町に似ているとなんとなく思った。当時はほとんど大阪に行ったことがなかったのになぜだろうか。

 

続きます~

 

写真は奈良 若草山です

 

 

 

唯一残ってた写真 長安城の城壁(西の門)です