詩人 高村喜美子 (青山学院関係者墓地) | 墓守たちが夢のあと

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青山学院関係者墓地

 

墓誌

 

 青山学院初等部の聖歌隊は昭和31年(1956)に当時主任であった伊藤朗(後に部長)、音楽科の白戸良子、担任の高村喜美子の3名によって結成されている。
 担任の高村喜美子は教師としてだけではなく詩人としても名を知られている。
 主に絵本の原作として「かみさまあのね」「大きなくすのき」などのほか、海外の作品の訳で「クリスマスのおくりもの」「くもさんなにをみた」など多くの作品があり、「こんなしずかな晩は」など歌曲になっている詩もある。
 女性作曲家として世界的に活躍している望月京氏は青山学院初等部で小1と小2の担任が高村喜美子で、当時の事を次のように語っている。
 生徒に詩を書かせていた高村は、よく「どんな人にも何かを感じる力があって、それをすぐに言葉にすれば誰でも詩人です」と語っていた。
 言葉にするのが苦手な子でも創造的な能力はあるものだ。
 高村のクラスでは、感動したことを何でも自由に書く「先生、あのね」というノートがあり、朝提出すると高村が返事を書いて帰るころに戻ってきた。
 いい表現には赤ペンで傍線がついていて感想が書いてある。約40人のクラスの全員に毎日返事を書くのは大変なことだと思うが、自分の投げかけたものに反応があると、うれしくなって、それでまた書きたくなった。
 約束を守ることなどについてとても厳しい先生だったが、型にはまらない表現に丸がついていたり、言葉や感性を大事にされていた。
 高村喜美子は昭和56年(1981)に亡くなっている。