細川家歴代の墓(京都 高桐院)
配置の説明版。斉茲と斉樹が十代・十一代の表記が逆(2011撮影)
細川家歴代の墓。一番手前か二番目のどちらかが斉樹の墓。
熊本藩第9代藩主(細川家10代)細川斉樹(なりたつ)は、寛政9年(1797)に8代藩主・細川斉茲の三男として生まれる。幼名は六之助、のちに父・斉茲の1字を受け茲樹(しげたつ)を名乗る。
父・斉茲は元は支藩・宇土藩主であったが、先代の治年の養子となり本家を継いでいる。宇土藩は長兄の立之が継ぎ、次兄の斉詮は廃嫡されたため継嗣となった茲樹は、文化7年(1810)に父の隠居により家督を継ぎ、将軍徳川家斉より偏諱を与えられ斉樹と改名した。なお、斉樹の正室・紀姫は家斉の妹である。
長年財政難に陥る熊本藩の再建のため、斉樹は島田嘉津次を大奉行に登用し、倹約を柱とした藩財政に取り組み、一時は10万石にも及ぶ蓄えを築くまで回復したが、文政9年(1826)に斉樹が30歳で死去し、藩財政再建は失敗に終わる。
斉樹の死後、藩は長兄・立之の子である宇土藩主・立政(斉護)が養子となって跡を継いでいる。


