安田財閥の創設者 安田善次郎 | 墓守たちが夢のあと

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安田善次郎の墓

 

安田善次郎

 

 安田銀行を中核とする安田財閥の創設者・安田善次郎は、天保9年〈1838〉富山藩下級武士の家に生まれます。
 安政5年(1858)二十歳の頃に江戸へ出た善次郎は、両替商に奉公したのちに独立し、乾物と両替を商う安田商店を開業します。
 慶応年間には古金銀を買い付け、維新後は太政官札、公債の売買により富を築いた安田は、明治9年(1876)第三国立銀行の設立に参画するとともに、安田商店を安田銀行(後の富士銀行、現・みずほ銀行)に改組し業務を拡大していきます。
 また、生命保険、損害保険会社の設立や、不動産業務の東京建物を設立するなど様々な分野にも進出し安田財閥が形成されていきます。
 安田は釧路地方の開発への協力や、東京市へ慈善事業費として300万円を寄附したほか、東京帝国大学に講堂建築費を寄附し、後に安田講堂が建築されるなど、慈善事業にも力を入れていましたが、それを公けにするのを望まず、匿名で行っていたため、第一次大戦後の不況の中で、一人不当に利益を得ているとの風評をたてられます。
 そして大正10年〈1921〉9月28日に国粋主義者により刺殺され、82歳の生涯を閉じています。「五十、六十は鼻たれ小僧 男盛りは八、九十」という言葉がありますが、これは晩年まで精力的に活動した善次郎の言葉だと言われています。
 余談ですが、ジョン・レノンの妻であったオノ・ヨーコは、善次郎の曾孫にあたるそうです。


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