民俗学者 白鳥芳郎 | 墓守たちが夢のあと

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歴史に名を残した人物の墓所データベースです。

白根家の墓

 

側面に刻まれた清と芳郎の名

 

 東洋協会学術調査部を設立するなど、東洋史学の権威であった白鳥庫吉の一人娘・君子と結婚した白鳥清も東洋史学者として活躍。詳しいプロフィールは分かりませんが学習院教授だったそうでいくつかの著書も刊行しています。
 清の長男・白鳥芳郎は、大正7年(1918)に生まれ、東京帝国大学文学部東洋史学科を卒業後、昭和23年に上智大学助教授、31年に教授に就任。ウィーン大学客員教授を務めていた時期もあります。
 タイなど東南アジアの山岳民族の研究のため、度々、現地を訪れ「東南アジア山地民族誌」などを刊行。民族学振興会理事長を務めるなど民俗学者としても活躍し、昭和55年に秩父宮記念学術賞、昭和57年に紫綬褒章、平成元年には勲三等瑞宝章を受章。平成10年(1998)に亡くなっています。


雑司ヶ谷霊園(東京都豊島区南池袋) 1種8号12側18番