永井荷風の弟 永井威三郎 | 墓守たちが夢のあと

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永井家の墓所

 

墓誌

 

 雑司ヶ谷霊園の小説家・永井荷風の墓所にある永井家の墓の墓誌を見ると、一番最初に荷風の母親である恒の名が刻まれていました。恒は、尾張藩藩儒・鷲津毅堂の次女で、父の門弟であった永井久一郎に嫁いでいます。恒の次に名前が刻まれているは荷風の弟・永井威三郎です。
 明治20年(1887)に久一郎の3男として生まれた威三郎は東京帝大を卒業後、農商務省に入省し海外実業練習生としてアメリカ,ドイツに留学。農事試験場技師を経て、東京高等農林教授、日本大学教授を歴任していきます。
 イネの遺伝研究で知られ、日本作物学会、遺伝学会、農業気象学会員、日本育種学会評議員としても活躍しました。
 兄の荷風とは、父が亡くなってすぐに荷風が妻と離婚し、新橋の芸妓と入籍したことから絶縁状態だったと言われています。
 永井威三郎は、昭和46年(1971)9月14日に死去。83歳。


雑司ヶ谷霊園(東京都豊島区南池袋) 1種1号7側3番