盛岡藩最後の藩主 南部利恭 | 墓守たちが夢のあと

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南部利恭の墓

 

南部利恭

 

 陸奥国盛岡藩最後の15代藩主・南部利恭(なんぶ としゆき)は、安政2年(1855)第14代藩主・南部利剛の長男として生まれます。
 明治元年(1868)戊辰戦争における「秋田戦争」で、盛岡藩は奥羽越列藩同盟に参加し新政府と戦い敗北。降伏した利恭は、父利剛とともに東京に護送されて、金地院で謹慎しています。 
 利剛が明治政府から隠居を命じられ、家督を相続した利恭は、陸奥国白石13万石に減転封され、明治2年(1869)版籍奉還により白石藩知事に就任。その後、盛岡藩知事に転任しますが、盛岡復帰の条件として求められた70万両の献金が工面できず他藩に先駆け藩籍を奉還。
 東京に移住後、英学校「共慣義塾」を創設するなど旧盛岡藩士子弟の育成に努め、明治17年(1884)には伯爵を授爵。明治36年(1903)に亡くなっています。


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