駒込・勝林寺の「田沼家累代」の墓で下段の右から二列目には、陸奥下村藩の第4代藩主(田沼家5代】・田沼意定の法名が刻まれています。
絶大な権勢を誇った老中・田沼意次が失脚し隠居すると、その跡を継いだ孫の田沼意明(意次の嫡男・意知の長男)は、遠州相良藩5万7000石から1万石に減移封された上で、下村藩を立藩しますが、意明は24歳の若さで死亡。
その後、跡を継いだ弟の意壱、意信も藩主となって3~4年で亡くなっています。
法名
田沼意定は、天明4年(1784)に田沼家初代・田沼意次の甥(意次の弟・田沼意誠の子)である田沼意致の四男として生まれ、享和3年(1803)に先代藩主・田沼意信が亡くなったため、その養嗣子となって第4代藩主に就任します。
しかし意定は、翌文化元年(1804)7月26日に死去。他の藩主より短い在位期間でした。
嗣子はなく、家督は意次の四男・意正が養嗣子となって継いでいます。
勝林寺:豊島区駒込7-4-14