以前、幕末から明治期にかけて活躍した洋学者・箕作秋坪について紹介しましたが、今回、同じ墓所に眠る秋坪の子供たちについて紹介させていただきます。
箕作秋坪の三男、箕作佳吉(みつくり かきち)は、安政4年(1858)江戸津山藩邸で生まれます。慶応義塾,大学南校(東大の前身)に学び、明治6(1873)年にアメリカへ留学。エール大学やジョンズ・ホプキンス大学で動物学を学び、明治14年(1881)に帰国すると、東京帝国大学理科大学で日本人初の動物学の教授となります。
三浦三崎に日本最初の臨海実験所を創設し、海産動物の研究を軸として日本の近代動物学の先駆者として活躍します。
墓石に刻まれた佳吉の名
主にナマコの分類,カメの発生の研究などで知られた佳吉ですが、牡蠣の養殖や、「真珠王」こと御木本幸吉に助言し、世界初の真珠の養殖を成功に導くなど、水産事業の振興に大いに貢献しています。佳吉の偉業を讃え、ミツクリエビ、ミツクリザメなど、その名を冠した生物も、いくつか存在しています。
箕作佳吉は、明治42年(1909)9月、佳吉は病気のため53歳で逝去します。
谷中霊園 乙5号2側(低地側飛び地)