松山藩最後の藩主 酒井忠匡 | 墓守たちが夢のあと

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酒井家の墓所

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酒井忠匡

 出羽松山藩の最後の藩主・酒井忠匡(さかいただまさ)は、安政3年(1856)7代藩主・酒井忠良の三男として生まれます。
 松山藩酒井家は、徳川家康を支えた徳川四天王の一人、酒井忠次の子孫である左衛門尉酒井家の分家という徳川譜代の大名であり、父も戊辰戦争で幕府側に与したため、明治元年(1868)強制隠居処分となり、忠匡が第8代藩主に就任します。
 そして明治2年(1869)には廃藩置県により藩知事となり、この時、藩名を松嶺藩と改称しています。
 明治4年(1871)廃藩置県により免官となり、明治17年(1884)には華族に列し子爵となった忠匡は、明治44年(1911)に、56歳で亡くなっています。

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