鳩山一郎の父 鳩山和夫 | 墓守たちが夢のあと

墓守たちが夢のあと

歴史に名を残した人物の墓所データベースです。

イメージ 1
鳩山和夫夫妻の墓

 以前、谷中霊園にお墓がある総理大臣・鳩山一郎、外務大臣・鳩山威一郎親子について紹介しましたが、今回は一郎の父親である鳩山和夫について紹介します。
 鳩山和夫は、政治家としての鳩山家の初代にあたる人物です。

イメージ 2
鳩山家の家紋は、鳩?ではなく「しりあわせ三つ雁金」

イメージ 3
鳩山和夫

 安政3年〈1856)に美作勝山藩(岡山県)の藩士・鳩山博房の四男として生まれた和夫は、明治8年(1875)開成学校を卒業後、アメリカ留学でコロンビア大学、エール大学に入学し法学博士号を取得して帰国。東京帝国大学講師や代言人(弁護士)を歴任します。
 明治14年(1881)に旧信州松本藩士・渡辺努の娘・多賀春子と結婚し、二年後には長男の一郎が誕生しています。なお、春子は後に共立女子大学創立者の一人に名を連ねる教育者で、一郎も春子の影響を大いに受けて育っています。
 和夫は東京府会議員を経て、明治18年(1885)に外務省書記官、取締局長を歴任する一方、帝国大学法科大学教授も兼任します。そして政党政治の重要性を感じると大隈重信が結党した「立憲改進党」に参加。明治25年(1892)に衆議院議員に当選し、以後連続9回当選、衆議院議長などを歴任しています。
 また、大隈に請われて明治23年(1890)より17年間、東京専門学校(早稲田大学)の校長にも就任しました。
 大隈の側近として活躍していた和夫でしたが、明治31年(1898)の第一次大隈内閣では大臣ではなく外務次官にしかなれなかった事から次第に大隈との間に溝が出来、明治41年(1908)についに大隈と対立する立憲政友会へと移籍します。
 その後、東京弁護士会会長などを務め、明治44年(1911)に享年55歳の生涯を閉じています。

東京都台東区谷中 谷中霊園 乙 8号 4側