横山作次郎の碑
墓の脇にある「柔道界之大先輩」の碑(頭山満書)
横山作次郎
大龍寺(通称:子規寺)には講道館創成期の柔道家で「鬼横山」の通称で知られる横山作次郎の墓があります。姿三四郎のモデル西郷四郎や富田常次郎、山下義韶と共に「講道館四天王」と呼ばれた人物です。
元治元年(1864)に東京鷺宮村で生まれた横山は、湯島天神下の井上敬太郎に天神真楊流を学び、その後、明治19年(1886)、22歳の時に年講道館に入門します。
柔術の素地があり体格にも恵まれた横山は、すぐに頭角を現し、入門の翌月には初段、半年後には二段、翌年には三段となり、警視庁柔術世話掛を務めています。
明治37年(1904)年には山下義韶と並んで講道館初の七段に昇段、東京高等師範学校柔道教師として指導者の養成にも尽しています。「柔道の神様」と呼ばれた三船久蔵や、ブラジルに渡りグレイシー一族に柔術を教えた前田光世(コンデ・コマ)も横山の弟子だったそうです。
大龍寺:北区田端4-18-4