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青山霊園には第92代内閣総理大臣(現、副総理・財務大臣)麻生太郎の父親で実業家で政治家でもあった麻生太賀吉と妻・和子の墓があります。
太賀吉は、九州の炭鉱王麻生太吉の孫として明治44年(1911)に福岡県飯塚市で生まれ、昭和6年(1931)に祖父の経営する麻生商店に入社、昭和9年(1934年)に社長となります。また、関連会社の麻生鉱業社長や麻生セメント社長も務め、戦後には、九州電力会長にも就任し実業家としての地位を固めています。
ロンドン滞在中に白洲次郎の紹介で、当時の駐英大使・吉田茂の三女・和子と知り合い帰国後結婚。吉田茂が後に首相となると、太賀吉も衆議院議員となり吉田を資金的にバックアップ、財界とのパイプ役も務め、サンフランシスコ講和条約締結においては与野党の反対派の説得に奔走する等、吉田を全面的に補佐していましたが、吉田内閣総辞職と共に政界を引退し、実業界に戻っています。
昭和40年(1965)には日本石炭協会会長に就任するなど、その後も実業家として活躍した太賀吉は昭和55年(1980)に亡くなっています。
麻生太賀吉夫妻の墓の隣りに、「麻生次郎」と刻まれた墓がありますが、麻生次郎とは麻生太郎元首相の実弟だそうです。昭和39年(1964)、学習院大学在学中、ヨット部に所属していた次郎は強風波浪注意報が出ている中、部員5名でヨットレースに出場するため横浜を出航しますが遭難して亡くなっています。(学習院大学ヨット遭難事故)
青山霊園 1-ロ12-1~6の牧野伸顕(和子の祖父)の墓の後ろ付近)