第82・83代内閣総理大臣・橋本龍太郎 | 墓守たちが夢のあと

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橋本龍太郎の墓。なぜか恐竜の置物が置いてありました。

 
 「橋龍」こと第82代内閣総理大臣・橋本龍太郎は昭和12年(1937)に,、文部大臣、厚生大臣等を歴任した橋本龍伍の長男として東京で生まれます。
 橋本は学制時代は山岳や剣道にあけくれ、大学卒業後は紡績会社へ就職します。父の跡は弟の大二郎(高知県知事を務め、現在はテレビで活躍中)が継ぐはずでしたが、昭和37年( 1962)に龍伍が急死した際、大二郎はまだ非選挙権が無かったため龍太郎が翌年の総選挙に出馬、衆議院議員へ初当選します。
 厚生大臣、運輸大臣、大蔵大臣などを歴任した龍太郎は、1989年の宇野内閣において、自民党幹事長に就任します。しかし、内閣発足直後に噴出した宇野首相の女性スキャンダルにより、同年の参院選で自民党は大惨敗し宇野内閣は短命で終わります。ただ、龍太郎は不人気であった宇野首相に代わり全国を飛び回わり国民的人気を得る事となりました。
 平成5年(1993)に宮沢内閣に対する不信任が橋本のライバルであった小沢一郎らのグループが野党と共闘したために可決、解散総選挙で自民党は野党へ転落します。しかし、約1年後に羽田内閣(細川内閣から移行)が内部対立により退陣すると、自民党はかつての政敵「社会党」と自民党から分裂した「新党さきがけ」と組み社会党委員長・村山富市を首相とする村山内閣(自社さ連立政権)を成立させ政権に復帰します。
 橋本は、村山内閣で通商産業大臣に就任。在任中は日米自動車交渉をまとめアメリカからも高い評価を得ました。そして、1995年、任期満了による自民党総裁選に立候補。野党時代の自民党を支えた現職の河野洋平は出身派閥の宮澤派の支持を得られず出馬を断念します。河野に代わり小泉純一郎が出馬しますが橋本が圧勝し第17代自由民主党総裁に就任、内閣においては副総理を兼務することとなります。
 1996年1月11日に村山首相は突然辞任を発表し、橋本が第82代内閣総理大臣に指名されます。首相となった橋本は高い支持率を背景に行政改革に着手、沖縄の基地問題でも普天間飛行場の全面返還で日米政府の合意、代替基地を名護市にすることで解決に道筋をつけます。(民主党政権誕生でひっくり返りましたが。) 
 同年の9月に衆議院を解散した橋本率いる自民党は議席を大幅に回復し、社会党・新党さきがけは閣外協力に転じた事により、3年ぶりの自民党単独政権が誕生、二期目の政権も安定した政権運営を行っていきます。しかし、1997年4月1日に村山内閣で決定していた消費税の税率引き上げ(3%→5%)に踏み切ると景気が急激に失速。日本はデフレ経済へと突入していきました。橋本内閣への支持率も急落し、翌年の参議院選で惨敗したため「すべてひっくるめて責任は私にある」と述べ橋本内閣は総辞職します。なお、橋本が増税に踏み切ったのは増税を目論む財務省官僚が、橋本にマイナス要因を十分に伝えず決断を迫ったためと言われ、橋本は官僚の言いなりになった事を生涯悔やんでいたといいます。
 首相退任後は、2000年7月に旧小渕派を、綿貫会長の衆議院議長就任に伴い継承(実権は野中広務や青木幹雄が掌握)、同年12月には、支持率低迷に苦しむ森喜朗首相に請われ、行政改革担当大臣兼沖縄開発庁長官に就任します。そして、その仕事ぶりが評価されてポスト森の候補として急浮上していきます。
 2001年4月の総裁選で、総理総裁への復帰を目指して出馬した橋本は当初、勝利が確実と考えられていました。しかし、選挙戦で旋風を巻き起こし、絶大な人気を誇った小泉純一郎に敗北します。
 華々しい生涯を送った橋本でしたがその終焉は突然やってきます。2004年に日歯連闇献金事件が発覚。日歯連会長から派閥へ受取った1億円の小切手を収支報告書に記載しなかったというもので、自民党最大派閥の業界との癒着が浮き彫りとなります。橋本自身の起訴は免れたものの責任をとり派閥会長を辞任。翌年の総選挙で出馬せず政界を引退します。
 そして、2006年7月1日 東京都新宿区の国立国際医療センターで腸管虚血を原因とする敗血症性ショックによる多臓器不全のため68歳で亡くなります。なお、死因がよくわからなかった事もあり、死後、病理解剖が実施されています。あまりにも突然の死で、一部、週刊誌では毒殺説を唱えるほどだったそうです。
 ところで、橋本龍太郎といえば、整髪料で固めたオールバックの髪型が特徴で「ポマード大王」というニックネームもありました。しかし、実際には水性のヘアクリームを使っていたそうで、元国会議員の鈴木宗男がある時、「あのポマード野郎」と悪口を話していた所に偶然本人が通りがかり、「鈴木君、これはムースだよ」と言って笑ったと言う逸話が残されています。
 
青山霊園 1種イ12号4側 「橋本墓」