陸軍大臣 高島鞆之助 | 墓守たちが夢のあと

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高島鞆之助の墓

 
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現地説明板
 
 薩摩藩士であった高島鞆之助は戊辰戦争や西南戦争で活躍します。明治13年(1880)年に熊本、翌年には大阪鎮台の司令官となった鞆之助は、明治16(1883)年に陸軍中将に昇進すると、明治24(1891)年には松方内閣の陸軍大臣に就任しています。
 陸軍教導団長を勤めていた高島鞆之助は、フランス・ドイツを視察し教育の重要性を痛感していたため、大阪鎮台司令官時代に、現在の「追手門学院小学校」の前身である「大阪偕行社学院」を設立。「学校法人追手門学院」では平成19年に創立120年を記念して青山霊園にある鞆之助の墓所の整備を行っています。
 また、高島鞆之助の自宅は、上智大学四谷キャンパスのクルトゥルハイム聖堂として現存しています。
 
東京都港区 青山霊園 1種イ1号9側