後伏見天皇8代玄孫 任助法親王 | 墓守たちが夢のあと

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任助法親王陵墓入口

 

 

 

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任助法親王陵墓(線路を挟んだ道路側から撮影)
 
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任助法親王念持仏が祀られた阿弥陀堂(大聖院境内)
 
 世界遺産「厳島神社」がある宮島へと渡るフェリー乗場近くにあるJR宮島駅の西側の踏切付近に任助法親王の陵墓があります。
 法親王(ほっしんのう)とは、男子皇族が出家し僧籍に入った後に、親王宣下を受けた場合の称号です。
 任助親王は伏見宮貞敦親王の第四子で大永5年(1525)に生まれます。第93代後伏見天皇の8代後の子孫で、後に奈良天皇の御猶子となっています。
 天文八年(1539)に出家し、京都仁和寺門跡二十世を継承。晩年に御法流再興のため九州へ下られる途中に宮島の大聖院に立ち寄られ、同寺良弁の遺弟良政がまだ幼く法務に堪えない事を知り、教育のために滞在されることになります。
 人々に「厳島御室様」と称され大変敬慕された任助法親王は、天正12年(1584)、宮島で60歳の生涯を閉じます。宮島は古来より神の島とされ、墓を建てられないため対岸に埋葬されたそうです。
 任助法親王が晩年を過ごした宮島の大聖院境内にある阿弥陀堂には任助法親王が奉持された念持仏「阿弥陀三尊」が祀られています。
 
 
任助法親王陵墓:広島県佐伯郡大野町宮島口二丁目
大聖院:広島県廿日市市宮島町210