現地看板
伏見桃山陵へと上がる石段。市民ランナーのトレーニングの場にもなっています。
伏見桃山陵
伏見桃山陵
京都伏見区に明治天皇陵である伏見桃山陵があります。明治天皇は急死した父親の孝明天皇の跡を継ぎ15歳で第122代天皇に即位します。
幕末の尊王攘夷運動が高まる中、幕府に対して一定の理解のあった孝明天皇が亡くなり朝廷内は討幕派で支配されると、将軍・徳川慶喜は慶応3年10月15日(1867年11月10日)に大政を奉還。朝廷は「王政復古の大号令」を発し新政府を樹立し年号を明治と改めます。孝明天皇崩御は急であった事から討幕派による暗殺説も囁かれています。
江戸城開城の半年後の明治元年10月13日に明治天皇は江戸に行幸し、江戸は東京に改められます。一旦京都に還られ、翌年に再び東京に行幸された天皇は以降、江戸城を皇居とし現在に至ります。
明治新政府は廃藩置県により中央集権体制を確立。富国強兵政策により急速に国の近代化を進め、日清・日露戦争の勝利により列強諸国と肩を並べていきます。
明治天皇は明治45年(1912)7月に、宝算61歳(満59歳)で崩御。同年(大正元年)9月13日に現在の神宮外苑にて「大喪の礼」が行われると柩は列車で、京都の伏見桃山陵に運ばれ、9月14日に埋葬されています。
伏見桃山陵は、かつて伏見城本丸があった場所です。豊臣秀吉が亡くなり、その後、徳川家康が入城し天下取りを見据えていた場所に、武家政治に終止符を打った明治天皇が眠っているのも感慨深いものがあります。
伏見桃山陵:京都府京都市伏見区桃山町古城山
撮影日:2014.3.15