本因坊道策、故郷の墓碑 | 墓守たちが夢のあと

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道策、因碩、山崎家開祖の墓碑

 
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本因坊道策の墓碑
 
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再建前の墓碑
 
 江戸時代に碁聖と呼ばれ無敵の強さを誇った囲碁棋士・本因坊道策は島根県大田市にある馬路の生まれで故郷には、弟の二世井上因碩とともに墓碑が建立されています
 道策の生まれた山崎家は元は毛利元就の家臣で、その後、石見銀山の開発などに関わり財を成します。
 道策は母ハマから碁の手ほどきを受け、間違いがあったりすると井戸の水をかけられたりしたといいます。馬路には今でも山崎家の子孫が住んでいて当時の井戸や、道策が幼少のころに使っていた碁盤や碁石が残されているそうです。
 なお、道策の生まれた馬路には鳴り砂で知られる「琴ヶ浜」があり、近くには一年計砂時計で有名な「仁摩サンドミュージアム」があります。当時はなかなか碁盤や碁石が買えなかったのか、道策が幼少のころに使っていた碁石は琴ヶ浜からとってきた貝殻や石だったと言われています。
 現在の墓碑は老朽化にともない平成13年に再建されたものですが、再建前の墓碑も現地に残されていました。
 
島根県大田市仁摩町馬路
撮影日:2011.2.18