相撲部屋「尾車部屋」創設 尾車文五郎 | 墓守たちが夢のあと

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二本松の力士塚

 
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尾車文五郎の墓
 
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勝山芳蔵(尾車文五郎)
 
 現在の大相撲の相撲部屋「尾車部屋」は昭和62年に佐渡ヶ嶽部屋の部屋付き親方の年寄・8代尾車(元大関琴風)が創設した部屋ですが、明治時代にも「尾車部屋」が存在していました。
 創設したのは初代尾車文五郎です。文五郎は天保12年に現在の鳥取県鳥取市湖山に生まれ、16歳で上京し玉垣部屋に入門。四股名を勝山芳蔵と名乗り明治4年には入幕を果たします。最高位は前頭五枚目で明治10年に37歳で引退し、年寄り初代尾車文五郎を襲名、そして「尾車部屋」を創設したのです。なお、年寄・尾車という四股名は貞享年間の力士である小車庄三郎からきていて、勝山は二代目尾車となります。
 「尾車部屋」は横綱大砲や大関・荒岩や大平戸などを輩出し、板垣退助が相談役につくなどして繁栄します。しかし、尾車文五郎は明治29年に京都の巡業先で急逝。部屋は弟子の大平戸が継ぎますが徐々に衰退。昭和15年に閉鎖されます。
 尾車文五郎の墓が、生まれ故郷の鳥取県鳥取市湖山の二本松にあります。これは弟子達が顕彰碑を建立し文五郎のタブサやサカヅキを埋めたものだそうです。
 
 ところで、尾車文五郎の墓がある「二本松」についてですが、豊臣秀吉が鳥取城を攻めたときに旧街道、茶屋の坂の両側に植えられたものと言われ地名にもなります。街道のシンボルとして広く知られていましたが昭和30年から50年代にかけて枯れてしまいます。そして、近年地元の人々により元の位置に松が植えられ復元されたそうです。
 
鳥取県鳥取市湖山町
撮影日:2014.1.25