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吉備真備の墓
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岡山県倉敷市真備町は奈良時代の学者で政治家の吉備真備の出身地です。第三セクターの井原鉄道井原線には「吉備真備駅」という駅もあります。
吉備真備は吉備地方の有力豪族である吉備氏の分派・下道氏の出身で、真備町には吉備氏の菩提寺「吉備寺」があります。
寺の隣りに「まきび公園」が整備されていますが、公園内には真備公のものと伝わる墓もありました。
真備公は霊亀2年(716)に遣唐使となり天平7年(735)に帰国するまで、儒学・天文学・音楽・兵学等を学びます。
帰国後、聖武天皇・光明皇后の寵愛を受け出世していきますが,政治の実権を握った藤原仲麻呂により左遷され、天平勝宝3年に遣唐副使に任命。翌年に再び唐へ渡ります。一年後に唐の高僧・鑑真とともに帰国しますが大宰府等への赴任となり中央から遠ざけられます。
70歳の時に東大寺造営の責任者として帰朝しますが、帰朝後間もない天平神護2年(766)に起こった自分を中央から追いやった藤原仲麻呂の乱で、中衛大将として仲麻呂軍を鎮圧。その後、右大臣にまで昇進しました。学者でありながらここまで出世したのは真備と菅原道真の二人のみだそうです。
真備には様々な逸話があり、日本に初めて囲碁を伝えた人物とも言われています。これは、江戸時代に徳川吉宗の命令で囲碁の起源が調査された際、そう結論付けされたためですが、実際にはそれ以前から囲碁は伝わっていたようです。しかし、囲碁は確にやっていたようでボストン美術館に収蔵されている平安時代作の「吉備大臣入唐絵巻」には中国の名人と対局する話が描かれています。
まきび公園:岡山県倉敷市真備町箭田3652-1 地図
撮影日:2011.6.25