中江兆民 | 墓守たちが夢のあと

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中江兆民の墓

 

中江兆民

 

 

 中江兆民は、思想家でフランスの思想家ルソーの「民約論」を翻訳し日本へ紹介。自由民権運動の理論的指導者として活躍し、東洋のルソーと呼ばれました。また、新聞社の主筆となりジャーナリストとしても活躍しています。
 明治23年の第1回衆議院議員総選挙では当選し国会議員となりますが、党内対立に嫌気がさして翌年には辞任しています。
 逸話として、兆民は土佐藩の足軽でしたが、外国語などを学び、慶応元年(1865)に長崎へ留学していますが、長崎では、同郷の坂本龍馬と出会い、頼まれてたばこを買いにいったという話があります。
 国会議員辞任後、実業家へ転身しますが、こちらは失敗し、政界へ復帰しようと活動を始めた明治34年に54歳で病のために亡くなりました。なお、この時、日本で初めて告別式が行われています。死後、直ちに火葬にするという遺言のために葬式が行われなかったそうで青山葬会場で葬儀の代わりに行われています。

墓所:東京都港区南青山 青山霊園 1-イ1-24  地図
撮影:2012.5.2