襲の色目の事は以前(2014年)に
書いた物ですが
もう一度シェアさせて頂きますね。
今回は
色名について書きたいと思います。
色の名には赤、青、黄のような基本的な色名がありますよね。
それとは別に「慣用色名」があります。
桜色
山吹色
茜色
などの和名や
マリンブルー
スカーレット
ラベンダー
などの外来名
今日は和名の
襲の色目(かさねのいろめ)
について書きますね
何年か前に色彩検定を受ける時に
ものすごく色の事を勉強して
久しぶりにすごく勉強したので
すごく頭が痛かったこと思い出しました笑
また、その時の
教科書をひっぱり出してきました。
日本の色彩の歴史でもっとも特徴的なのが
平安時代と江戸時代なんですよ。
この時期はともに
日本独自のすばらしい色彩文化が
花開いた注目すべき時代なんです。
今日は、平安時代
十二単と共に生まれた
かさねの色目という
日本独特の
カラーコーディネートの事を
お話ししたいと思います。
かさねの色目とは
具体的にどういうものかと言うと
一枚の着物の裏と表に異なった色を用い
その二枚の布を襲(かさ)ねた時に映る
独時の色合いを言うのです。
平安時代の裂(きれ)は
絹糸自体がとても細いので
現代のものよりずっと薄かったそうです
裂(きれ)を襲(かさ)ねると
下の色が透いて見えたそうです
たとえば、紅のきれの上に白をかさねると
淡いピンクが透けて見えるでしょう。
まるで桜の花びらのような
ほんのりとしたピンク色だったので
これを「桜がさね」
と呼んで春のコーディネートの
ひとつにしていたそうです
他に春のかさねには
表が白、裏が緑なら
「柳」
表が白、裏が蘇芳
(すおうと言って、くすんだ赤)なら
「梅」
表が蘇芳、裏が萌黄色
(もえぎいろ・若草色)なら
「つつじ」
表が薄紫色、裏が萌黄色なら
「藤」
夏のかさね色目は
表が青(緑)、裏が農紅梅色で
「菖蒲」
表が紅色、裏が淡紫色なら
「なでしこ」
秋になると
表が濃紅色、裏が濃黄色の
「朽葉色」
いろいろな種類の紅葉がさねや
菊がさねがあったそうです。
冬のかさね色目は
表が黄色、裏が淡青(緑)の
「枯野」が良く使われたそうです。
それから「雪の下」は
表が白で、中に薄紅色、裏は萌黄色で
これは雪におおわれた冬の野原の下に
かすかに春の植物が芽吹いている。
そんなイマジネーションから
生まれた、かさね色目だそうです。
ほんとに平安朝の人たちは
細かく自然を観察して
そこから本当に
しゃれた色目を考え出して
身に着けていたんですね。
それも、今と同じで
ちょっと早い季節の色目を
先取りして着るのが
おしゃれ上手だったのだそうですよ。
日本人の色彩感覚は
もともとは自然や季節感のなかで
育まれたきたんですね。
すごく素敵で
自慢できる色彩文化ですよね。
そうそう平安時代の流行色は
紫だったそうですよ。
清少納言は「枕草子」で
紫なら何でも美しいといっているし
「源氏物語」でも登場人物に
紫に関係する名前がとても多いですよね。
光源氏のお母さんは
桐壺(きりつぼ)の更衣で、桐は紫です。
光源氏が一番愛情をこめて
恋をしたのが藤壺の中宮で
一番信頼した奥さんが紫の上だし
そういう紫好みが読者にもわかって
本来は藤原為時の娘だから
「藤式部」といわれていたのが
いつのまにか「紫式部」と
呼ばれるようになったんだそうです。
かさね色目は
十二単だけじゃなくて
いろいろなものにも
使われていたみたいです。
平安時代の男の人も
とてもおしゃれだったそうですよ。
色に男女の区別が
それほどなかったみたいですね。
当時の男性の服装である
狩衣(かりぎぬ)や直衣(のうし)にも
このカラーコーディネートが
適用されていたんだそうです。
今、平安の色を
再現しようとしても
もうそれは不可能だそうですね。
千年前と水も違うし
土も違うし、染色に使った植物も
環境破壊が進んで
今はもう日本にないものもあるし
だから当時と同じ色は
きっと出せないでしょうね
悲しいですね。
実物ももちろん残っていないそうで
私達は文学や文献を読んで
千年前の日本には
こんなに美しい色があったのかと
想像するしかないのだけど
それも、楽しいかもですね。
色ってこれだけ見ても奥が深いでしょう!
源氏物語をまた読む機会があったら
襲ねの色目を思い出して