明智光秀公のお墓へ | 色の宝石箱 Larimar ラリマー

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カラーセラピストの
美斗(ミント)です。
ご訪問ありがとう
ございます(*^_^*)
テーマはいろいろだけど
最近は自分の好きな事を
ブログに書いています。

7月1日
朝、8時半に友達と2人でミント号にて
香芝インターから岐阜へと向かいました。

石川県小松市から岐阜に向かうM先生とMさん

近江八幡から岐阜に向かうOさんと
岐阜駅で待ち合わせです。

朝から雨模様・・・高速では途中、前も見えないほどの大雨で

待ち合わせの時間・・・11時に間に合うように飛ばしました。

西名阪から名阪国道へ、そして東名阪自動車道を進み
名古屋第二環状自動車道と東海北陸自動車道にて
岐阜各務原ICで高速を降りるルートで岐阜駅へと向かいました。

高速を降りるまで休みなく、ぶっ飛ばしてきたので
待ち合わせ場所に行く前にコンビニに寄って
トイレに行きレインコートを買いました。


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11時ちょっと過ぎたけど、予定通りに待ち合わせ場所に到着

私の車とOさんの車は駐車場に停めて

小松市のMさんの車にみんなが同乗して
明智光秀公のお墓へと向かいました。

その前に昼食をとるため、道中で見つけた
インド ネパールレストラン
「ピース ダイニング」に入りました。

ネパール人のマスターはとても日本語が上手で
気さくで面白く、おまけもしてもらいました。

日本人の味覚に合わせたという料理は
どれもとても美味しかったです。

今まで食べたインド ネパール料理の中で
一番美味しかったと思います。

特にインドの餃子?モモ入りトマトスープはすごく美味しかったです。



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下がモモ入りトマトスープです。

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岐阜県山県市にある明智光秀公のお墓に到着しました。

白山神社があるのですが
宮がどれかわからないほど朽ちていました。


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1582年6月13日小栗栖(京都宇治市)の竹藪を通過中
落人狩りの土民に竹やりで刺されて落命したとあり
これが光秀最後の定説となっていますが
しかし、山県市西洞地区での言い伝えによると
光秀は75歳まで生き延びたことになっています。

 


 
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以下は上の写真の看板より

天正十年(一五八二)山崎の合戦で羽柴秀吉に討たれ死んだのは
光秀の影武者「荒木山城守行信」だとしている。

光秀は荒木山城守の忠誠に深く感銘し
この事実を子孫に伝えようと

荒木の「荒」と恩義を深く感じての「深」で
自らを「荒深小五郎」と名乗り

西洞寺の林間に庵を建てて住んでいたと言われている。

その後光秀は雲水の姿となって諸国遍歴にでたが
十八年後の慶長五年(一六〇〇)関ヶ原の合戦の時

東軍に味方せんと村を出発したが途中、藪川の洪水で
馬と共に押し流されおぼれ死んだ為

死骸を山城守の子吉兵衛が持ち帰り
この地に埋葬したと伝えられている。





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智光秀公は 主君、織田信長を討ったという不名誉な
歴史の話が歴史上残されていますが
実際は歴史は改ざんされて濡れ衣を着せられ たと・・・


http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic33.html



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お墓を参拝する頃には雨は止んで、結局、買ったレインコートは
必要ありませんでした。
(車の肥やしになりそうです(^^;))

でも、お墓に向かう途中の砂利の坂道は
雨が止んでも水が流れていて

もし、土砂降りの雨がそのまま降り続けていたら
道は川のようになって、長靴が必要だったかも・・・・

だから、雨が止んで助かりました。



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みんなでお墓の周りのエネルギーをきれいにして
浄化して光を降ろしました。


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真っ黒な物がどんどん吸い取られてきれいになった後

紫色の光が広がり、金色の光が広がりました。




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ご神事が終わった後に、M先生に

「髪の長い着物を着た女の人が赤ちゃんを抱っこして
悲しそうに立っていました」

と、お伝えしたところ

その女の人は明智光秀公の妻の煕子(ひろこ)ではないかと・・・・

ひろこさんのお墓は西教寺(滋賀県大津市坂本)にあるそうです。

「そちらとこちらを繋げてあげなくてはね」
とM先生がおっしゃいました。


http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic33.html

上記のサイトより転載させていただきました。

光秀は明智家再興を胸に誓って諸国を放浪
各地で禅寺の一室を間借りする極貧生活を続け
妻の煕子(ひろこ)は黒髪を売って生活を支えたという。

煕子は婚約時代に皮膚の病(疱瘡)にかかり
体中に痕が残ったことから
煕子の父は姉とソックリな妹を嫁がせようとした。

しかし、光秀はこれを見抜き、煕子を妻に迎えたという。

当時の武将は側室を複数持つのが普通だった時代に(家康は21人)
光秀は一人も側室を置かず彼女だけを愛し抜いた。


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15時半頃に岐阜駅に戻り、みんなと別れて
M先生は明日の奈良の箸墓古墳のご神事の為
今日は私の家に泊まっていただくことに・・・

私の車でSちゃんとM先生3人で奈良へと向かいました。

帰りも来たルートでナビを合わせましたが

なのに!なのに~!

なぜか途中からルートが

名神高速道路
京滋バイパス
第二京阪道路
近畿自動車道西名阪自動車道 に入って
香芝市 インターで降りるルートに変わっているのです。

大津市を通るルートに変わっていたのです。

大津市の西教寺に眠るひろこさんに呼ばれたのでしょうか・・・

どちらのルートも到着時間は同じぐらいなんだけど
高速料金が半分以上も違うんです。

朝、来たルートの方が安い!

ひろこさんに呼ばれたのなら仕方がないけど
ちょっと、複雑・・・苦笑い・・・・・・。


明日は、箸墓古墳へとまいります。


つづく・・・。