昨日のブログが、どなたかを傷つけたり失礼になっていないか、
今日一日少し気にしていました
念のためですが、薬に頼らず静養生活を選択される方も、
勿論いらっしゃっていいと思います。
(私にはそれだけの強さがないために、その道を選びきれないのかもしれません)
そして、薬物療法を含むあらゆる治療を試しながらも、思うように奏功しなくて、
好む好まざるに関わらず、静養を選ばざるを得ない方もいらっしゃると思います。
長年そうした生活を続けられている方の苦労や辛さは、
たかだか慢性疼痛歴一年半の私には、まだまだ理解しきれていないと思います。
一方で私のような、ついこの間まで健康に問題なく、企業で普通に働いていた人間が、
突然こういった捉えどころのない病気になった時に、
「健康でない自分」をなかなか受け入れられない、
機能障害(≠器質性疾患)や慢性疾患というもの自体、どう受け止めたら良いか分からない、
といった、「病歴が浅いがゆえの苦悩」も、あるのではないかと思っています。
慢性疼痛の当事者のブログとして、症状やその対処についての記録だけではなく、
そうした慢性疼痛ゆえの苦悩や葛藤も、記録しても良いのではないかと思い、
昨日はあえて自分の本音をかなり書きました。
もし悩んでばかりの暗いブログになったら、それを苦手に思う方もいるかもしれないけど、
でも、全く悩んでいる面を見せないで、ひたすら情報ばかり書いていても、
なんだか他人事のようで、「慢性疼痛を抱えて生活すること」が実際どういうことなのか、
いまいち実像が伝わらないのではないかな…と感じています。
認知行動療法にしても、運動療法にしても、正しいには正しいと思うけど、
例えば「誤った認知を変える」とかって、そう簡単なことじゃないと思うんですよね~。
なにしろ、それを行う患者本人は、四六時中痛みを抱えているし
認知行動療法を行う治療者の方は、その困難さを想像し、理解する必要があると思うし、
私も、悩んだりうまくいかなかったりする部分も、隠さず記録しておきたいと思っています。
※因みに、慢性疼痛に対する認知行動療法は、色々可能性もあるとは思うけど、
具体的にどんな認知や行動を変えるのか、どうやって変えるのか、
作用機序は何なのか等、まだ結構ツッコミどころがありそうな気がしています。
少なくとも、不安に対する曝露療法などとは、作用機序が少し違うのではと思っています。
今日一日少し気にしていました

念のためですが、薬に頼らず静養生活を選択される方も、
勿論いらっしゃっていいと思います。
(私にはそれだけの強さがないために、その道を選びきれないのかもしれません)
そして、薬物療法を含むあらゆる治療を試しながらも、思うように奏功しなくて、
好む好まざるに関わらず、静養を選ばざるを得ない方もいらっしゃると思います。
長年そうした生活を続けられている方の苦労や辛さは、
たかだか慢性疼痛歴一年半の私には、まだまだ理解しきれていないと思います。
一方で私のような、ついこの間まで健康に問題なく、企業で普通に働いていた人間が、
突然こういった捉えどころのない病気になった時に、
「健康でない自分」をなかなか受け入れられない、
機能障害(≠器質性疾患)や慢性疾患というもの自体、どう受け止めたら良いか分からない、
といった、「病歴が浅いがゆえの苦悩」も、あるのではないかと思っています。
慢性疼痛の当事者のブログとして、症状やその対処についての記録だけではなく、
そうした慢性疼痛ゆえの苦悩や葛藤も、記録しても良いのではないかと思い、
昨日はあえて自分の本音をかなり書きました。
もし悩んでばかりの暗いブログになったら、それを苦手に思う方もいるかもしれないけど、
でも、全く悩んでいる面を見せないで、ひたすら情報ばかり書いていても、
なんだか他人事のようで、「慢性疼痛を抱えて生活すること」が実際どういうことなのか、
いまいち実像が伝わらないのではないかな…と感じています。
認知行動療法にしても、運動療法にしても、正しいには正しいと思うけど、
例えば「誤った認知を変える」とかって、そう簡単なことじゃないと思うんですよね~。
なにしろ、それを行う患者本人は、四六時中痛みを抱えているし

認知行動療法を行う治療者の方は、その困難さを想像し、理解する必要があると思うし、
私も、悩んだりうまくいかなかったりする部分も、隠さず記録しておきたいと思っています。
※因みに、慢性疼痛に対する認知行動療法は、色々可能性もあるとは思うけど、
具体的にどんな認知や行動を変えるのか、どうやって変えるのか、
作用機序は何なのか等、まだ結構ツッコミどころがありそうな気がしています。
少なくとも、不安に対する曝露療法などとは、作用機序が少し違うのではと思っています。